2012年4月10日火曜日

クローズアップ現代 ライフログ

ライフログによって自分の行動を「効率化する」という発想が、どうにもよくわからない。自分の1日の行動をログとして残すことによって、歯ブラシの交換頻度を事前に知らせてくれることが、「雑事についてあれこれ頭を巡らさなくて良くて効率的である」という考え方自体、すごく硬直化した発想じゃないのかなあ?

 もちろん、「そろそろトナー交換です」的なお知らせだけが出て、実際の行動にはある程度自由度があるという状況だから、意思決定にストレスがないのかもしれないが、人間、同時処理には限界があるわけで、いろんなログ情報が入ってきて逆にうざったくなるだろう。
 
 この辺は、自分の身の委ねようの学習の仕方なんだろうか?

 自閉症の一部に記憶の消去障害がある。彼らのこだわり行動は、特に恐怖情動を伴う記憶の消去障害(恐怖条件付けが続いてしまう)を回避した、むしろ適応行動であるということ。快行動をただ繰り返す動物的側面と、恐怖回避という生得的な可塑性の障害。どちらをクローズアップするかによって、同じ病気も見方が変わってくる。ライフログにより自分を縛る生き方は、ある側面では「忘れることを許さない」生き方と言えないか?

 酒を飲む。嫌なことは忘れよう、と。多くのことを忘れることができて初めて、大切な記憶が生き生きとよみがえる。自分の人生史をライフログ化した男性が、昔の記憶を「懐かしいと思う感覚がなくなってきた」という。
 糸井重里が言うような、人が行動を変える原動力は「誰かに必要とされていること」だったりもして、過去の自分からの視線から得られる行動の変化や自己肯定感の積みかさねから、どのような自分が生まれるのか、は今ひとつ想像が難しい。

 一方で、アナログに日記を付けるライフログもはやっていると言う。アナログなモノが持つ質感は、画面を通した記録から得ることが出来ないだろう。子供にIPad をやらせすぎる弊害があるとすれば、そういった質感教育(実際は教育でも何でもないのだが・・・)を忘れないことだと思う。

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