2012年4月13日金曜日

てんかん者による死傷事故について

鹿沼の事件から1年経って、また起きてしまったというのが正直な感想。
日頃てんかんの診療を細々と行っている医師から見た問題点を、当事者視点とは少し異なるところからまとめておこうと思う。

1.  てんかんに限らず、低血糖や不整脈など、「発作性に」「意識を失う恐れのある」疾患に対する免許交付の基準は、地震と同じで予測が難しいので、どうしても「曖昧な線引き」となること。しかし、道路交通法を遵守する場合に、「医師の判断」をどのように行っているか、という点が実は難しい。 
http://www.geocities.jp/i_nami_08/douro.html

2. 一般的に、脳血管障害や、腫瘍、形成異常などの基礎疾患を有するてんかんは、ある年齢から起こらなくなるという保障がないので、内服は中止しづらい。起こしやすい年齢のある「特発性」のタイプでは、脳波と臨床経過が典型的であれば、一部の方では内服減量中止も可能だし、安全のため内服を続けてもらって、免許をとることも可能としている。基礎疾患があっても、少なくとも5年以上の経過で発作がなく、脳波も悪化しなければ、必要に応じては免許申請のため診断書を書く。

3.  この、「必要に応じて」は、そのまま「地方では生活に必要である」となる。仕事でも本来営業の方が、配置換えになることも多い。高校生ぐらいの子には「将来仕事を選ぶ際に、病気がマイナスにならない仕事を選ぶ方が賢いよ」と忠告する。
要は、少子化対策の問題と同じで「現金給付ではなく現物給付を」の問題なのである。てんかんは自立支援医療の対象だが、医療費の公費負担だけであるので、医療券を持つことにより受けるかもしれない社会的差別を恐れて、申請しない人は多い。もちろん、最近では薬事行政の進歩により、良く効く新薬が日本でも使えるようになってきており、それらの薬は高価なので恩恵にあずかっている患者さんも多くいることだと思う。しかし、てんかんのために運転免許を取ることが出来ない、もしくは返上を余儀なくされた人に運転代行サービスを与える、などの簡単な現物給付が何故出来ないのか? 

4. てんかん特有の抱える大きな問題は、「頭の病気」であり、頭の病気=怖いという先入観、さらには知的障害を合併する確率が一般より高く、歴史的に精神疾患に区別されていたということがあるのだと私は思う。その「一人歩きする病名のイメージ」が実際の軽症の患者さんに与える社会的影響は計り知れないのである。そして、これは自戒を込めてなのだが、例えば、薬を飲み忘れやすい「注意力の問題」を抱えがちな患者さんに対して、説教するのではなく、家族を中心とした周囲がどう問題意識を持ち、病気のことを深く共有していくかが問われているのだと思う。医者の方は、「薬で治まる発作」を軽く考えてしまうところがあって、その人の社会的な闇の部分にまでメスを入れられていないと思う。
私は、未成年であっても、必ず本人の理解力を確認して、理解力に応じて病気のこと、内服の必要性を説明するようにしている。でも、本人から見れば、自分は意識を失っていて記憶がないのだから、「まあ大丈夫だ」と思ってしまうのだ。それを、周りが「言っても聞かない」で終わらせてしまってはいけない。

今回のことで、てんかん患者がさらに差別を受けるような方向に向かうのではなく、彼らが社会で生きていくために受ける制限の代わりにどのようなサービスが福祉的に与えられるべきなのか、を提言し議論していく必要があるとつくづく思う。

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