2012年4月5日木曜日

TBSラジオDig  尊厳死法制化について

水曜 荻上チキ×外山恵理。

尊厳死法制化を考える議員連盟の増子輝彦と、ALSサポートセンターの吉田有美子の対談。議員さんの「管をつけた状態で生きなくてもよい権利」を、あくまで本人意思と前置きした上だが、「尊厳死」に安易に結びつける点に大いなる違和感を感じるのであるが、「声も出せずに本当は生きたいのにそれを主張できない当事者」を涙ながらに語る吉田さんも、冷静な議論になっていない。荻上さんが、感情的な吉田さんの主張を冷静に議員に伝えるも、まあハナからゴールが正反対な言い分など妥協点ゼロ。
しまいには、当事者自ら外山アナに「あなたがもし当事者になったらどうしたいですか?」などと聞く始末。「当事者も状況が異なるのですから、今答える必要はないと思います」と軽くいなされる。

死は観念であり、死ぬ前からはその観念は自分に属しているものではない。一方、生の権利は、すべて個人に帰する。尊厳死議論の最もナイーブかつ難しい点は、死を選ぶ権利が、個人に属するのか否かに尽きる。


その点で私は、もともとその帰属から矛盾を孕んでいる「生死」の問題を、事前に取り決めておくという考え方に疑問を感じずにはおれない。

また、一方の問題として、医療現場に多く見られる「死ぬ前の悲惨な数日」というものも厳然としてあろう。「悲惨な死」は誰のものか?私は、先に述べたように、死は観念であり、死は「残された家族」にとって意味を持つのだと考えるならば、「悲惨な死」を避けるために、治療を手控える程度の選択肢を、医師と残された家族の総意として持つことは許されるのではないか、と考える。
 
 法制化が許されるとすれば、そこまでだ。
この倫理的問題に、経済を持ち出してはならない。

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