2012年8月19日日曜日

橋本治 その未来はどうなの? 集英社新書 を読む

「「わからない」という方法 」から10年。リーマンショック、東日本大震災、原発事故、筆者自身の大病を経た、「未来」への指南書。

 橋本治とは、膨大な知識に裏打ちされた歴史認識と、独特の視点および想像力による批評が真骨頂である。まずは、目次を眺める。
第一章 テレビの未来はどうなの?
第二章 ドラマの未来はどうなの?
第三章 出版の未来はどうなの?
第四章 シャッター商店街と結婚の未来はどうなの?
第五章 男の未来と女の未来はどうなの?
第六章 歴史の未来はどうなの?
第七章 TPP後の未来はどうなの?
第八章 経済の未来はどうなの?
第九章 民主主義の未来はどうなの?

さすが、思索は多岐にわたる。

第二章
 橋本は、まず「ドラマ」を、
 「指針のない世の中で、人が生きて行くための指針となった物語」と定義する。
昨今、「大きな物語」は崩壊し、内向きな私小説でないと芥川賞をとれない、などと言われるが、話は江戸時代にさかのぼる。

江戸時代には、「なにしてやがるんだ、テメエ」的な指針に満ちていた。明治維新により「近代的自由」を獲得した人々は、「自由=指針のない状態」を生きるようになる。この時代に、どこまでも前向きな世界観を与えたのが講談であり、その講談から派生した小説が吉川英治の「宮本武蔵」を代表とする「大衆小説」である。一方で川端康成らを代表とする「純文学」は世の中の「苦い認識」を前提とする挫折に満ちたものである。

 小林秀雄が吉川英治に文化勲章を受章するように勧めた話は面白い。

 ここまで自由が多様化し、一般化している現代においては、もはや「前向きな大衆小説」のようなドラマも「売れるパターン」を失っていると言わざるを得ない。指針を示すものも、マンガ、アイドル、スポーツまで多岐にわたってしまっている。それでも、オリンピックにこれだけ人が熱狂できるのは、オリンピック選手にある種の「講談や大衆小説的な前向きさ」が元来宿っているからだろう。サクセスストーリーは、それ自身、自由な庶民の指針となりうるのである。「パワーをもらう」という形で。

自由に慣れた人間は、「押しつけの指針」に対して、「うるせー、関係ねー」と拒絶する。人生の指針は拒絶される。ドラマは、わかりやすいナレーションにより理解されるものでは、断じてない。「面白いドラマ」を自ら求めている人は、「自らの指針を求めている」のである。他人や社会とつながっていない自由に、どれほどの意味があるのだろう?

第四章
 下町の商店街における「職住近接的自営業」と、郊外に一戸建てを買う山の手型「職住分離的勤め人」の対比。庭付き一戸建ては、生活感を隠すための城のミニチュアであるという話。経済成長期において、「生活感」は「生活臭」であり、「貧しさの象徴である」という考察。金持ちになるということは、貧乏時代の下積みを「(見)なかったことにする」ということなのかもしれない。
 自営業のおかみさんに求められる、寅さんのさくら的な「炊事・洗濯・掃除に加えて、商品の仕込み、客の応対、店の経営」までわたるマルチな仕事。
 結婚までの期間が長く、お互いに仕事を持つ「男女共同参画社会」における問題とは、独身生活が長いことによる、「もはやお互いの生活価値観ができあがってしまっている」ことによる結婚後の軋轢に起因するものもあるということ。

 生活感のある街は、時代とともに医療をうけるのと同じように再開発をうけるべきであり、生活感のある街を取り戻すことを我々は考えなければならない。

第八・九章
 「経済」「民主主義」を語る上で、筆者は一つの私見を述べる。
 それは、経済成長という世界的な幻想が、リーマンショック以後の世界経済の破綻によって揺らいでいる現在、日本は、世界経済戦争を過激化してしまった先例として、「成功したゆえに失墜した限界」を認め、敗北を認めるべきであると言う。

エネルギーは好き放題に使えない。産業の発展は公害を生む。それでも産業が発展し、ゴールを見失い加速する経済競走の暴走を止められるのは、いち早く経済の成功と破綻を経験してしまった「先進国」である日本だけだ。
 印象に残ることば------------進むだけではない、Uターンの道もあると教えられる立場にあるのは、日本だけだ。

さらに、九章では、民主主義という制度が、「ものは決められないが、独裁者の抑止力としてはたらく」ものであること、こと日本では、天皇制という、「独裁者」を生みにくい
状況であり、そのような状況では、全員が自分の権利を主張できて、主張してしまうから、これを黙らせることができないし、権利を主張する側が黙ろうとしない。
 政治がものを決められない中で、「成熟した民主主義は、民主主義であることを守ろうとする。」

そして、この閉塞感を打ち破る方法として、次のように述べる。

 「王様」になってしまった国民は、自分以外の「国民のこと」を考えなければ行けないのです。しなければいけない議論の方向を、「自分の有利になる方向」に設定しないことです。「自分の言うことは、みんなのためなることなんだろうか?」と、まず考えることです。

 「無私の精神」 吉田兼好が繰り返し述べたことであり、小林秀雄の著作にもある。

 私は、あとがきにもあるように、筆者が大病をし、自らの体(気力、体力)に不安を感じた今だからこそ、以前にも増してこのような素晴らしい文章を、ストレートに著作に著したのではないかと考えている。医師という職業の持つ「非日常的な場面」や、病気を中心とした家族や患者さんの有り様を間近で見ていて、そこから何かを悟る人は、自分の身の丈を知る=自分の万能感を捨てる、自分のための権利より、「みんなの幸せ」をごく自然に考えられるようになるのだと思う。
 
 なんだか、とても勇気づけられる一冊であった。

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