2013年9月26日木曜日

「コミュニケーション能力がない」と悩むまえに 貴戸理恵 を読む


岩波ブックレットシリーズ。時代の変化に伴って、モノ作りからサービス業への職業スキルの転換があり、それに従い、社会性やコミュニケーション能力というものが話題になる機会が増えた。社会性とコミュニケーションの障害である自閉症も、その軽症型を含めたスペクトラムとしての疾患概念が認知されて久しい。
 筆者は不登校やひきこもりの背景にあることを「関係性の生きづらさ」とし、その原因を考える。生きづらさのタイプを、1)学校や仕事などのキャリア, 2) 病、障がい、老い、性嗜好などの弱さ の2つに分類し、さらにA) 市場原理、B)社会の仕組み C) 当事者性 の3つの重視する立場を定義して、生きづらさを理解するための考え方を6通りの立場から呈示する。この分類が非常に分かりやすい。自分が常々、どの立場から彼らのことを見ているのか、ということにも自覚的になることができた。自己責任論、優生思想は、A)市場原理を重視する立場、貧困や格差という不平等を重視する社会要因論、病・老・障がいなどの「弱」を福祉的に支えるという社会保障的立場は、B)社会の仕組みを重視する立場、依存症の自助グループ、グループホームなど「弱さの承認と、同じ境遇の仲間との共同」は、C)当事者を重視する立場 である。

 どの立場から見るのが「正しい」のか、の答えはない。できることは、「立場が違えば見方が違う」ということを認めるだけだ。「関係性の生きづらさ」を理解するためだけに、これほど多様な視点があることを知るだけだ。しかし、筆者は、自らの不登校=生きづらさ体験を終章でカミングアウトしながら、生きづらさを抱えていない、もしくは、努力によって生きづらさを克服した「わたし」の当事者性について言及する。

函館1泊2日旅行

9月の3連休×2。
1週目は台風で仙台行きの予定を回避。
2週目はどうしよう、と思い立って函館へ。

函館は3回目。学生時代の北海道周遊旅行、札幌小樽との旅行に次いでだが、実は函館だけゆっくり回るのは初めてかも。

7時台の羽田空港発に乗り、8時30分には函館へ。幸いにも快晴。
レンタカーを借りて、大沼に向かう。
国定公園であり、ラムサール条約の保護湿地にも認定されている。
3連休にしては人はそれほど多くはない。
大沼公園駅付近に車を停め、函館初の食事は100年の伝統を持つ大沼だんごと山川牛乳。あんことみたらしで、甘さは程よく、大きさもちょうどよく、美味ー。
http://www.hakonavi.ne.jp/oonuma/numanoya.html

湖畔から見える駒ヶ岳は絶景。島巡りの50分ほどのウォーキングでもちょうどよい気候。中国からの観光客が多数で、みんなレンタサイクルに乗って集団で押し寄せてきて、あー、ちょっと文化の違いを感じた。

 昼過ぎに大沼を後にして、そのまま五稜郭へ。ここで、遅めのランチに塩ラーメンのあじさい本店へ。2時過ぎなのに、大行列!。函館市内は観光客でごった返していて、びっくりした。しかし、噂に違わず海鮮の塩はあっさり、かつ旨みはしっかりで、昔よく食べた札幌の塩ラーメンとも違ってなかなかでした。その後、五稜郭タワーから公園の全景を眺め、公園内をぶらぶらと。そういえば、昔このお壕をボートに乗ったことがある記憶が蘇った。洋風のカフェに入りたくて、公園近くの「ピーベリー」に。チーズケーキが何とも言えない美味しさで、コーヒーも、マスターの雰囲気も異国情緒漂っていて素晴らしい。
http://tabelog.com/hokkaido/A0105/A010501/1002976/

お壕沿いを歩いていると、ランニングしている人の姿が目立つ。あーそういえば皇居もこんな感じだよなあ、と改めて思うが、周回がコンパクトで正五角形の五稜郭の方が、景観としては良好だな。地元の方の生活が垣間見れて満足。

函館国際ホテルにチェックインし、そのまま車を置いてタクシーで函館山ロープウェイへ。うー、凄い人と車だ。ロープウェイに揺られて山頂に行き、展望台から三大夜景を臨む。夜景の写真はなかなか上手く撮れないので、動画でごまかし、後はプロにとってもらう。そして・・・ 行きはよいよい、帰りは怖い! 帰りのロープウェイまで30分以上は待ったなあ。こういうところで停電だったり地震にあったりしたら、やばいよなあと思いながら、ようやく山麓駅に。ここでも、中国人の観光客が観光バスで多数やってきていた。ツアー恐るべし。
 だからか、元町の教会のライトアップを見ながら市電の駅まで歩いていたが、ロープウェイの人はどこに消えたの、っていうぐらい空いている。ハリスト正教会などを見て、八幡坂を降りて末広町駅から市電で松風町まで。惜しむらくは、ここで元町公園まで行かなかったこと。翌日昼に訪れて、あー、こりゃ、夜にも来るべきだったと後悔した。


 夕食をどうするか、は散々悩み、地元民の行きそうな小さな居酒屋を狙ったけど満員。やむなく、根ボッケのお店へ。
http://tabelog.com/hokkaido/A0105/A010501/1004944/

しかし、根ぼっけは美味かった。朝市で伺ったのだが、根ぼっけは道内産で、縞ボッケはロシア産らしい。縞ボッケのが割高なのだが、それは品薄だからで、「北海道に来たら根ぼっけだよ」とのお話。やっぱり現地に来ないと分からない話もあるよなあと納得。

活イカ刺、タラバガニ焼き、ウニ、いくら、根ぼっけ焼き、バッテラといただきました。
キンキも食べたかったけど、さすがに予算オーバーで断念。キンキは縁起物なので、正月などのお祝いに使うそうです。

 2日目はもちろん朝市から。どんぶりストリートがあるのだが、どうも特徴が分からない。他の店は1階で営業をしている中、敢えて1階が店で2階が食堂という不利な条件とも思える道乃家食堂へ。うにいくらアワビの3色丼をいただく。その後は、強引な客引きにめげずに良心的な商店に入り、掘り出し物をうかがう。根ボッケ、鵡川のししゃも、いくら、ウニを購入。そして甥姪のためにらいでんメロンを購入。夕張メロンは夏で、秋のこの季節はらいでんメロンだそうです。

 金森市場、元町公園、高田屋嘉兵衛資料館、旧イギリス領事館、旧函館区公会堂などを回り、今日も喫茶店へ。元町珈琲館。大学生の団体がどやどやっといてビビった。

 飛行機は夜19時だったのだが、少し余裕を持って、トラピスチヌ修道院と湯の川温泉、熱帯植物園を巡り、見晴公園で夕陽を見て空港へ。空港の食堂で豚丼とイカの沖漬け、ジンギスカンを食べて1泊2日の旅は終了。

結構1泊で回れるなあ、と思った反面、観光地は集中的に人が集中し、もう少し分散するような戦略があったほうがいいんじゃないかなあと思った次第。JR北海道も大変そうだけど、九州がやっているような企画列車を使って集客を狙ってみてはどうでしょうかねえ?

函館の街自体は、さすがに歴史のある落ち着きと西洋的な佇まいのあるいい街だなあと思った。娘さんを中学から函館の寮生活(函館白百合)をさせていたけど、子供が中学時代を過ごす街としては悪くないんじゃないかな、と思いました。


 

2013年9月6日金曜日

橋本治 初夏の色


橋本治の最新短編集。どこにでもいる家族の肖像と日常を、そのディテールまで繊細に描かせたらこの人の右に出るものはいない。

そして、今作は震災を通して、人間の心理の変化や関係性の変化を切り取った作品が多い。「助けて」や「海と陸」で描かれた「震災後」の情景の1つは、どこまでも続く「無」への恐怖であり、「在」であった陸が震災によって「無」になったことの絶望感が人間の心理を通して情景とともに伝わってくる。

「海と陸」で描かれる、自分の感情に正直に生きる強い女の葛藤と、そんな女が「どうとも思ってない」男だから馴れ馴れしく抱きつくことができるという不思議さ、というのは男と女のリアルな関係性だ。「小舟に乗って海に出る女を陸から見ている男」。男って悲しい生き物だ。

 そんな男女の関係をもう一歩進んで描いているのが「枝豆」。「草食系男子」の定義についてあーだこーだ言いながら、男は自分の中に眠っている性欲という「内部的な暴力」をどう扱って良いのかに悩む。いわゆる「草食系優位」の世の中では、男は「動物」と「社会的人間」の狭間で、自らの内部的な暴力を「自制」することをデフォルトとするため、「女性に対して性的関心がある」という事実を裏付ける「内的欲望」が育たない。なるほど。社会的な生き物として「人間」を見るとき、女性は内的に「愛着」を持っている。オキシトシンを出すしね。一方男性は、内的に「動物的欲求」を強く抱えている。月並みに言えばドパミン優位ってこと。うーん、でも、男性が社会性を獲得するのと自分の内的欲求に気付くのと、どっちが先になのだろうか??

2013年7月20日土曜日

「冷やす」こと

7月上旬の暑さは、ようやく一段落。
神楽坂の路地の喫茶店では、夕方に閉店して水を撒く主人の姿。
夏の日常の光景だ。

「水を撒く」という行為は、なんとなく心も清らかにしてくれる。
水が好きな自閉症の子は、洗濯や洗い物、米を研ぐなどのお手伝いを一生懸命にやる。

「地球熱帯化」の昨今では、どうやって涼をとるかというのは切実な問題である。
暑くなればイライラする。かき氷をほおばる、風鈴の音に耳を傾ける、打ち水をする。思えば「冷やす」という行為の持つ意味は大きい。

冷やすことで保存がきく。腐らずに食料を溜めることができるようになる。体を冷やすことができないと、もっと熱中症が増えるだろう。冷やすことにはエネルギーが要る。だから「電気」が重要な意味を持つ。
 人間は、過剰な内的エネルギーを「熱」という形で外に出す。熱中し、熱狂する。そして、そんな人間の体から発する熱量を「冷やす」という行為はとても重要なものである。
「クーリング・オフ」「クールビューティー」「頭を冷やす」などなど。

「冷やす」ということは、人間が賢く、効率的に生きていくための知恵なのである。

それがどうだろう。ネットでは誹謗中傷が飛び交っている。熱さの押しつけも目立つ。
声高に「反原発」を熱く叫べば叫ぶほど、彼らの発する熱を「冷やす」ためのエネルギーがどこからくるんだろう、などと皮肉りたくもなるのだ。

「クールなだけでは、行動しなければ、何も変えられない」と行動派の人間は叫ぶ。
「冷静と情熱のあいだ」って何だろう? 「Cool  head, but warm heart (ハートは熱く、頭脳はクールに)」世の中を良くしたいと思っていれば、これは最低限の秩序なのではないだろうか?


2013年4月19日金曜日

夜中に眠れなくなってしまった


 川上未映子「愛の夢とか」 読了。
 これは、ハマったなあ。
 夜中に眠れなくなってしまった。
 この小説に出会えて幸せだ。


 今年の春に、国際文芸フェスティバルというのに参加する機会があり、そのシンポジウムで川上未映子の話を聞いたのをきっかけに、彼女の考え方に興味を持ち、「ヘヴン」を読んで衝撃を受けた。まず、彼女の文章が持つ美しさ、繊細さに。そして、何よりパーソナルな問題に留まらない大きなテーマ性に。
 ほどなく、この新作短編小説が発売され、また新しい衝撃を受けた。
 
 7つのストーリーに精通しているテーマは、パーソナルな小さな世界における別れである。最近に執筆された幾つかの話には、それぞれの世界の中でエピソード的に震災の出来事が挿入されるが、決して震災を経験しての劇的な世界の変化としては描かれていない。

 ささいな日常を、繊細な感覚で生きている人にとっては、別れの後には「記憶」という厄介なものと対峙しなければならなくなる。アイスクリーム、庭の植物、お気に入りの作家、三陸のほたるいかの船、心血注いで手入れした一軒家・・・それは、時間を消費し、忘れる能力を無意識に会得した人間にとっては想像もできない世界なのかもしれない。作者は、そうした記憶を形作っているモノや景色に細やかで生き生きした感情を与えていて、昔国語の授業で習った「擬人法」という手法の存在する意味を体感させてくれる。
 
 「十三月怪談」では死別をテーマに、生の夫と、幽霊(?)となった妻のパラレルワールドが描かれるが、これはまさに「記憶」の世界である。平野啓一郎的には「死者との分人」。死後を生きる遺された者にとっての「死者との分人」が、不可避的に小さくなっていく日常を見守る妻の言葉が、徐々に感情のみが短いひらがなのみで紡がれていくのは、これぞ女流作家の美しさだ。
 「お花畑自身」では、まさに自分の庭の土と生きながらにして同化していき、「十三月怪談」では、愛した人と同化していく。死や別れが描かれているのに、美しい文体と繊細で愛情あふれる描写が、「開かれた終わり」を強く読者に印象を与える。そんな、「薄れ行く記憶の根っこにあるもの」は、言語化しがたいものであればこそ、小説のテーマとなっているのであろう。
 一緒に暮らしていれば、お互いの所作や匂いが似てくる。そんな日常をおかしみながら大事に記憶に焼き付けていく。それが、「新たな震災前」を生きる私たちなのかもしれない。

2013年4月15日月曜日

だいじょうぶ3組、自分を愛する力

乙武洋匡さんの新書「自分を愛する力」、映画「だいじょうぶ3組」を観る。

一般の方には、乙武さんの存在自体が「非日常」であり、「別世界」であろうと思う。
自分だって、病院や医療施設と言う枠の中でしか、それらの存在を知ることはない。
それでも、在宅に向けて必要なものを準備したり、キャンプなどを通して介護者の苦労や本人の日常的な困難を知ることもあり、これは貴重な体験になる。

障がい者の自叙伝や半生を振り返る話はこれまでにもあった。しかし、乙武さんのすごい所は、スポーツライターを経て、「教育」の現場へ飛び込んでいったことではないか?

 もちろん、彼自身が普通小学校で身を以て味わった挫折感や人との繋がりの尊さ、感謝の気持ちなどを次の世代に伝えたいということは、ごく自然な感情のように思う。自分に不可能な世界への憧れや、一流選手に対する興味・関心の強さが、若い時分の彼にスポーツライターという職業を選択させたのも事実だろうし、そのような彼自身の成長の延長線上に「教育」があっても何ら不思議ではない。映画の中でも、国分太一演じる白石が、「赤尾(乙武さんの役名)にしか伝えられないことがある」と言うように、彼の存在を生徒に対して「可視化」することは、生徒達にとって特別なものになることは間違いない。

 至る所で言われることだし、新書の中でも書いてあることだが、今の日本の教育は、初等教育から「画一性」を要求される。乙武自身は、「教師が子供達一人ひとりの個性を大切にできていない。それは、そもそも教師自身に個性が認められておらず、画一的であることが求められている」からだと述べる。桜の下での授業のエピソードが象徴的である。「他の組の生徒が望むから、そういう行為は慎むべき」なのである。遠足の場所もそう。
少数のために柔軟に対応するということが難しい場所が「学校」なのである。

 映画の中では、余貴美子演じる「校長」が素晴らしい。生真面目に勝手な行動を非難する安藤玉恵や田口トモロヲを軽くいなしながら、ダメなものはダメという決定を下す。
しかし、本質的には赤尾の教師としての資質を深く認めている。
 私は、今の教師がクラスの生徒に対して示すべき姿勢は、この校長のような態度ではないかと思った。

 では、どうすれば教師が「生徒」の資質を知ることができるのだろうか?これが難しい問題だと思う。道徳の教育であったり、金子みすゞの詩から自分の長所と欠点を生徒に書かせる授業だったり、というのは、根本で「自分を愛する力」を育てる授業なわけだが、一方で「先生が生徒のことを知る力」を気付かせてくれることにも繋がるのではないだろうか?理想論だが、教師は生徒のことを、まず100%信頼すべきであると思う。
 不定愁訴で外来を受診する子供を、適当に検査して「精神的なもの」と断じて、「もう来なくていいよ」という医師の姿が重なる。症状があるということは、原因はともあれ「不具合がある」ということだ。親が子供のことを理解していない、勝手な(間違った)理解をしている、学校側の姿が見えない、などのケースがあるわけだが、病院や医師、心理士だけで解決できるわけではない。

 新書の第三章で描かれるように、子の自己肯定感を育てるために、親は子に「能動的な愛を伝えていく」ことに加えて、「ありのままの子供を受け入れる」という受動的な姿勢が必要であると述べる。この眼差しこそ、まさに「障害者当事者」の素直な気持ちだと思う。
 我が子の苦しみや葛藤よりも、世間の常識や価値観をやみくもに優先してしまう。「少数派」になることを極度に恐れている。これは鋭い視点だと思う。

 「偏見」は、ものすごく恐ろしいことだ。自分の一生を左右しかねない視点だと思う。
「世間を敵に回したって、嘲笑や冷ややかな視線を浴びたって、自分だけはこの子の味方でいる」という強い覚悟を持って初めて「ありのままの子供を受け入れることができる」という。

 この感情こそが、「だいじょうぶ」なのだろう。映画の中で、乙武さんがアップで「だいじょうぶ」と呟くシーンは観る者に感動と、なんか「安心」を与えてくれるものだった。この映画は理想でしかなく、現実の教育現場はもっと複雑だ。でも、複雑だからこそ、忘れがちなシンプルな感情を心がけるようにしたいと思う。

2013年4月10日水曜日

やりたいこと、できること、やるべきこと

cakes 平野啓一郎インタビューを読む。

若い頃は、「やりたいこと」をやるべき。
そして、やりたいことをやった先に、自分の「できること」を知る。
そして、最終的に、自分が何を「やるべきか」を問うて一生を生きるのだ。

自分を振り返る。
そもそも平野啓一郎は、最も自己内省能力に優れた作家なのだと思う。

今は、大学院で「やりたいこと」をやっている。
これからの人生で「やりたいこと」を明確にすべき。
そして、自分にしか「できないこと」を見つける。

やっぱ、文学って素晴らしい!!

2013年1月29日火曜日

想像力の鍛え方

「何者」の話の続き。
想像力のない人間のことを上から目線で軽蔑していた主人公は、唐突に、「あなたこそ、そうやって観察者の立場に立つことで想像力を働かせていない」ということを指摘される。複雑な世の中で、想像力を正しい方向に働かせることの難しさ。

自閉症は、コミュニケーションと社会性の障害と言われる。
そして、二言目には、「想像力の障害」と言われる。

独りよがりの想像は、空想であったり、もっとひどいと「妄想」ということになる。
被害妄想や誇大妄想などは、統合失調症などの精神疾患や神経症・人格障害でも中心症状になることがしばしばである。

では、人は、どうやって想像力を働かせることを学ぶのであろうか?
この問いは、案外難しいと思う。

認知心理学的には、想像力の基本は、「メタ認知」である。
つまり、「心の理論」に代表されるような、「他人の視点から物事を捉えること」。

発達心理学的に、その第一歩は、「三項関係」である。
浮世絵でよくある、母と子が、同じ月を見ているというもの。これが、「共感」を生む。
好きな人が見てる物を、僕も見る。そして、お母さんが微笑んでいるから、僕も嬉しい。という感情が芽生える。

そのうちに、保育園で、人の物を盗ってしまって、先生に怒られる。
「物を盗るのはいけないことです。盗られた◯◯クンの気持ちになったら、どう思いますか?」と諭される。「先生、ごめんなさい」が、感情を伴えば、メタ認知の第一歩である。

 さて、より高次の想像力は、事をやらかしてからでは遅い。人を泣かせた後で後悔しても遅い。そうして、人は、さまざまな経験をストックさせて、「先回りして」相手の気持ちを想像する事を学ぶようになるわけだ。

 科学的根拠に乏しい個人的経験で申し訳ないが、想像力の豊かな人は、視野が広く、人の事をよく観察している。そして、これはあくまで「私の想像」だが、彼らは日々、想像力を働かせるシミュレーションをしている。

「あのとき彼はどう思ったんだろう?」「こういう風に接したらもっとよかったかな」など、自ら問いを立てている。
 しかし、そうそう日常的な対人関係の中でシミュレーションをしていたら疲れてしまう。だから、我々は、「グループ」というものを作り、「気のおけない」仲間と群れるようになる。そして、違和感を感じる相手に対しては、場合により「いじめ」「からかい」などの形で、違和感を表明するのである。
 もちろん、このときに、からかったら相手は嫌だと思うだろうとシミュレーションできる人は、決していじめやからかいを実行しないだろう。そのような「抑制機能」は人間が大人になるために必須な能力である。

では、実際の現場で、想像力の足りない子に、我々は何が出来るのだろうか?
話が振り出しに戻って堂々巡りしているが、私は、想像力を鍛える方法は大きく2つなのだと思う。一つは、部活などの集団生活で適応しようと努める事、そしてもう一つは、文化的生活によって自己・他者の内面に深く入り込む事である。

ここで、僕自身の想像力の在り方の変遷について振り返っておこうと思う。

僕の想像力は、学校で八方美人になることから始まった。過適応である。
しかし、人とあわないある違和感をずっと抱えていた。
大学に入ると、自分に文化的な刺激を与えてくれる友人に出会った。そして、映画館やレンタルビデオ屋に通うようになる。1本の映画が与えてくれる想像力というのは計り知れなかった。脇役の所作や、同じ映画監督の映画の中に精通するスタイル、テーマを想像したり、映画の時代背景を想像したり、「想像の自由」を学んだ。そして、なるべく深く知りたいと思い、評論を読みあさった。ある意味、頭でっかちであったかもしれない。まあいいではないか?

そして、臨床医としての数年を経て、今は読書が楽しい。読書は、映画よりも、より想像力を働かせるのが疲れる。それは、映像そのものを想像しなければならないから。すべてが自分の記憶と視覚と文章読解に負うから。その点、映画は2時間で終わるし、そこまでは疲れない娯楽である。
 でも、読書は、コストが安いし、映像がないからこそ入り込めるものがある。最近わかってきたのが嬉しい。

そして、もう一つ。絵と音楽である。
映画においても音楽はもちろん重要だが、純粋に聴覚から想像すること、また、1枚の絵から視覚だけで想像する事。これがなかなか今の自分にはまだ難しい。頭でっかちだからね。

最近は、心地よい音楽に身を委ねる、ということを試み中である。
思えば、昔は、売れ筋のfamiliarity の高い曲にばかり関心があった。音楽じゃなくて、「商品」。絵もそうだ。ガイドブックに載っている「有名な絵」を見に行く。もっと自由でいいじゃないか?最近はそう思う。むしろ、その絵の時代背景、音楽のルーツ。そういうものを学んでから見るのも悪くない。同じ頭でっかちなら、その方がいい。

想像力って、大人になると頭が固くなるから、どんどん弱くなっていくんだろうな。
せめて、違う世代の人たちの考えている事を想像しようとするという想像力だけは持ち続けたい。町田康のテーストオブ苦虫を読みながら。

2013年1月28日月曜日

朝井リョウ 「何者」

最年少直木賞受賞の上記作品を読了。

前作、「桐島部活辞めるってよ」では、ある事件をきっかけに、スクールカースト呼ばれる高校生の序列や友情に生まれる不協和音や化学変化を描いた秀作であった。吉田大八により映画化された作品は、今年度のキネマ旬報の2位であった。

そして本作は、現在の大学生の就活を通した微妙な人間関係をまたしても描く。

以下、ネタバレ。

「ラスト30ページの衝撃を見逃すな」みたいなキャッチコピーが独り歩きしたので、ミステリーみたいな変な先入観を持って読んでしまったが、いたって等身大な青春小説だと思う。対比として浮かんだのは、伊坂幸太郎の「砂漠」である。俯瞰的な主人公の視線から大学生活が描かれるという点で似ている。(もっとも、砂漠はもう読んでからだいぶたつので記憶があいまい)

しかし、朝井リョウは、妙に意地悪で冷めた目だ。少なくとも、小説の登場人物に自分を仮託したり、感情移入したりはしない。

現在を生きる若者に必要な要素として、頻繁に「想像力」と「バランス」という言葉が登場する。
そして、その能力?が最も露骨な形で現れるツールとして、SNS特にtwitterを持ってくる。

奇しくも、35になるおじさんは、twitterを本格的に初めて3か月。それまではFacebook派だったので、twitter vs Facebook問題は遅まきながら自分にとってリアルなテーマなのである。

おじさんは、ひねくれた方向に真っ直ぐなので、Facebookの承認欲求願望に飽きてきた。
twitterの最大のメリットは、くだらなくて、今つぶやかないと、絶対すぐ忘れちゃうよ、ということをパッとつぶやくことができることと、フォローしている人の「お、いいこと言うじゃん」とか、「これ、いただいとこ」というつぶやきをタイムラインに残すべく「ポチっと」リツイートor お気に入りに登録 できることである。

そういう意味で、この小説の登場人物たちが、いくら就活情報を得るためとはいえ、リアルな友人同士がtwitterで近況やらなんやらをつぶやいていることにまず違和感があった。
 twitterって、リアルじゃないけど、この人、きっと自分と趣味あうよ、という半ば妄想に似た想像が醍醐味なんじゃないの?

もちろん、有名人はじめとした公人のアカウントは、きちんと社会(or ふぉろわー?)に発信するという意味を持つだろう。でも、ほとんどの人は私人であり、私人だけど、たまには公人みたいに偉そうにつぶやいてみたいという欲求にも応えてくれるツールだと僕は認識している。

だから、twitterでの人格が、FBでの人格とまるっきり違う。これはいいと思うんだが、twitterのアカウントを2つ持って、使い分けるということろが、まず今一つピンとこない。「疲れないか?」と問いたい。そして、両方とも私人として、片方では当たり障りないことを、そしてもう片方では毒を吐きまくる ことって、ものすごく露悪趣味だろう。
 結局のところ、この小説は、観察者で俯瞰的にモノを見ていた主人公が、そうやって優位に立とうとしたが、現実の自分の卑小さを、ひょんなことから指摘されて、自分の卑小さを受け入れるストーリーとしか思えなかった。

 リアルなところは、「一億総評論家時代」とも言うべき、「匿名による批判」の問題だろう。しばしば、有名人のtwitterが炎上する。SNSは、理想の自分に比して現実にはうまくいかない自分のストレスのはけ口として機能してしまっているという問題点は正しいと思う。

アカウントを使い分ける、ということは今の若い世代はどの程度やりきっているのだろうか?
分人はリアルの世界だけのものではないとは思うが、自分で演じたりコントロールできるものではない、というのが平野さんの主張だ。

僕は、この小説は、最後に主人公の破綻という形で終わるというどんでん返しという意味では、まあまあ良くできていると思うが、その破綻が唐突に他者により語られるだけ、というところが不満だ。内部から崩壊していくべきテーマだと思う。まあ、そうするといやでも「病気」にならないといけないんだけど。でも、現実には、そっちのほうが多数でしょう。

2013年1月10日木曜日

子供と電車

 小さい子がいると、電車に乗れないということをよく耳にする。
特に都心ではラッシュもあるので、深ーい都営大江戸線ぐらいしかベビーカーを見ない気もする。
 少し前にさかもと未明が、騒ぐ子供を飛行機内で叱り、抗議した騒動があったが、図らずも今日中央線内で、2組の母子が同乗し、3−4歳と思しき2人の子供がギャーギャーと大声でわめき散らしているシーンに遭遇した。そして、その空間にいる当事者として問題を考えてみた。

 2人の保護者は、互いの話に夢中になっていた。子供たちは、輪唱のように一方が大きな声を上げると、それに呼応する形でもう一方がさらに大声で返すという行為を繰り返した。その声が止む気配がないため、周囲の乗客は、それぞれ視線を注いだ。保護者は、2人の子供に、各々「しーっ」とか、「声が大きいよ」と声をかけていたが、子供達は親の忠告を無視して叫び続けていた。

 このシーンを、「最近の親は子供のしつけが出来ない」と一喝してしまうことも可能だろう。問題の根本は2点あって、

1.  公共の場で大声を出すことは周囲の迷惑になることなので、よくない。
2.   親は、自分たちが叱ったにもかかわらず、子供が大声を出すことをやめないことに対して、何らかの反応を示すべきである。

ことだと思う。どうも、躾というのは、親が子に上から施すもののように考えられがちであるが、必ずしもそうではないと思うのだ。コミュニケーションというのは、絶えず双方向性であるべきである。だから、注意しても子供が言うことを聞かなければ、もう一度、少し強い口調で再度注意すべきである。親の注意が形式的なものであったからこそ、子供達は、この親の声かけに対して反応しなかったのである。
 そう考えると、さかもと未明が飛行機内でとった行動は、妥当であった可能性がある。
躾という親子間のコミュニケーションが有効でないならば、「怖いオバチャン」の出番ではないか?
 母子関係のねじれは、子供が難しい年齢になったから表面化する、というばかりではなく、案外、このような幼児期からの双方向性のコミュニケーションの反復の欠如に問題があるのではないか、と思えるのである。

2013年1月9日水曜日

運動嫌いの理由

 年末から首が痛くて最初肩こりだと思っていたのだが、なんか血圧が高めなので、血圧計をちゃんとした上腕式のものを購入して定期的に測るようにしてみたら、首が痛い時は血圧が高かった。
 いよいよ来たかアラフォーメタボということで、年明けてジム通い再開。今度はサステナビリティーを重視して、短時間でも週3−4回を目標に。岸田みたいにラーメン控えて、食事は塩分表示をチェック。漬け物や醤油などにも気をつけて、生野菜をとる。酒の量は適量に、と、こんなに自分にいろいろ課していつまで続くことやら。

 こんなことここで告白することでもないが、僕は運動嫌いである。運動音痴であるから苦手であるということもあるのだが、昨日すごい混んでいたジムの更衣室で自覚した。僕は「汗をかくこと」が昔から嫌いなのだ。

 最近よく政治家が「汗をかかないといけないんです」と演説しているが、いつからか汗をかくことが少なくなった。子供は汗をかいてもへっちゃらだし、炎天下でバーベキューとかする時に、男の汗にキュンと来る女子もいることだろう。しかし、あのジムの更衣室に充満する多数の男の「ブレンド汗」。この汗の何%が自分の汗かと思うと、嫌悪するような、申し訳ないような気になる。たぶん、曖昧な記憶をたぐり寄せていくと、「汗でじめじめした感じの感覚過敏」なのだと思う。プラス匂いと。

 いろいろなことに対して、「アー嫌だな」と思うのが先に来る人は不幸だ。その不幸は、ポジティブ思考になろうよ、という意識づけでどうにかなるものではない。どちらかというと、「汗をかかない運動法」を考えないといけない。がんがんにクーラーかける、がまず考えられるが、節電の時代に逆行する考え。

 普段、よく診療に当たってて、自閉症の子が20代超えると急激に太りだすことに遭遇する。彼らは、もともと過敏が強くて変化を嫌うので、運動不足になりやすいことに加えて、内服薬剤の影響、食事が(唯一の)娯楽となっているなど様々な要因が考えられるが、そんな彼らのメタボ対策として有効な運動法は、ありきたりだが、「散歩、ジョギング、水泳」である。彼らは素直なので、毎日習慣づけさえしてあげれば、散歩やジョギングは比較的取り入れやすい運動である。また、男性は「電車好き」のことが多いので、徒歩→電車→徒歩という過ごし方も目的意識を植え付けられやすい。
 しかし、私が驚くのは、水泳好きの自閉症者が多いことである。私は、水泳も嫌いである。なぜなら、塩素の匂いと、眼鏡を外さなければいけないから。過敏な彼らが、素直に水に馴染むとは思いづらい。しかし、おそらくは地道な経験の積み重ねだろうと思われるが、そのようにして水過敏を克服する人は案外多いのである。そして、水泳は、濡れるが案外汗はかかないのである。泳いだ後に爽やかな身体感覚が得られるという点では、汗の過敏が強い者に対しても効果があるに違いない。

 (感覚)過敏というのは、その人の嗜好やライフスタイルにも影響を与えるものである。同様に恐怖過敏、対人過敏なども。過敏さゆえにフタをしてしまいがちな思考回路をどのように解放してやるか、そのことは結構重要な問題な気がする。




 


 

2013年1月7日月曜日

平野啓一郎 空白を満たしなさい 感想

2012年は私にとって、平野啓一郎という同世代の偉大な作家を発見した年であった。

モーニングに連載されていた小説の書き下ろしが、タイトルの作品。

以下、感想。


過去の平野作品の中でも、ストレートな表現という意味では一番。幸せとは?、孤独とは?、死にたいという気持ちとは?、自分とは?死とは?生きるとは?
 死者の復生という現象を通じて、様々な人間の中に生まれる様々な問いと葛藤を、もつれた糸をほどくように展開していくストーリーは、謎解きのミステリーよりもドキドキする。
 
 人間の死は、寿命か、寿命未満かのどちらかである。途中の死がいつ来るかもしれない不安を慰めるものは、生の充実や疲労である。一方、寿命に向かっていく穏やかな歩みは、生きている人から遠ざかって「無」に近づいていく道程である。
 自殺が罪であるキリスト教社会と対照的に、日本には社会的分人を消す方法として「出家」があったということは興味深い。

 ゴッホの自画像の件から、自殺をする瞬間の人間は、幸せに生きたいと願うがために、その支障となる分人を「消したい」と願うのだ、と徹生が気づくところは圧巻。

 ラデックとの最後の手紙のやり取り。
 ラデックは、人生に起こる1回だけの重大な瞬間に何を決断するのか、がその人を規定するという考え方を我々の人間性に対して試練を与える意味で「悪魔的である」とし、死の一回性を肯定しつつも、「切れ味の悪いはさみ」と形容したことに、とても救われた感じがした。
 死を語る資格を持つ者の分人に影響を残すことが死するものの幸福である、ということは、死の恐怖を少なからず軽減してくれるものであるはずだし、この死生観に立つことにより、日常を生きていく上でいかに足場となる分人を大切にして(誠実に)過ごしていくべきか、という教訓にもなると思われる。
 このような筆者の呈示する死生観があるからこそ、この小説は最後に感動的なハッピーエンドを迎えることができたのであり、これこそ「決壊」での悲劇的なラストを越えて産み出された作品なのだ、と思った。


2013年1月3日木曜日

箱根にて

正月の箱根。それは、いつもテレビの中の世界だった。

 今年は年末に同窓会があって帰省したので、年明けの予定は未定だった。
ふと12月某日、じゃらん「年末年始の宿」を見て「箱根」と検索したら、ほぼ有名旅館はなかったが、たまたまリゾート&スパホテルの空きを発見し、少々値は張ったが、まあお正月だしということで即決した。

 お正月の箱根は天気が良く、強羅にあるリゾートホテルは、綺麗な外観とは裏腹に、畳の和室とタイル張りの内湯(+家族風呂)は昔風で、昔あった温泉旅館か民宿の温泉部分を残して、他を作り替えたことが予想された作りだった。料理は、地元相模湾の魚を中心としたイタリア料理フルコースで、鮑が非常に美味しかった。鯛・勘八・鱸のカルパッチョ、オマール海老のタリアテッレ、肥後牛のサーロインステーキ、ちゅら鮑のソテー、春菊ソース など。
 温泉は先程述べたように、むしろ古く狭い。しかし、運良く、2回とも他に客はいなかった。15組の宿泊客は、何をしていたんだろ?

 少し苦言を言わせてもらえば、接客の人があまり訓練されているとは思えず、いわゆる
老舗旅館に見られる「重厚なホスピタリティ」は感じられなかった。イタリア料理+レトロな内湯、に対して、果たしてこの宿のメインターゲットはどの層なんだろう?と思った。うっかり来ちゃったご老人は、ちょっと居心地悪いんじゃないんだろうか、と余計なことを考えていた。タバコぷかぷか吸ってエステして、っていう女子会2人組、みたいなのがジャストかなあ?

 初エステ経験。50分11000円のハーフボディーコース。
 wikipediaでエステティック(Aesthetic)を調べてみると、日本では、明治時代から「美顔術」が先駆けとされる。1970年代から、顔に留まらず、全身按摩、脱毛などが行われるようになる。1996年に日本エステティック協会ができて、国家資格ではないが、たかの友梨、スリムビューティー、ヤマノ、ミスパリなどのスクールに通って資格を取るみたいです。
 エステ感想。「自分は感覚過敏があるなあ」。言い換えると、くすぐったがり。
 触られると、本来は弛緩してほしい筋肉にピッと力が入る。それの繰り返しである。
 良いマッサージ師さんは、触れた手を離さずにゆっくりと隣接する筋肉群を包み込むようにほぐしてくれる。残念ながら、今回のエステは、オイルを塗りたくり、筋肉をくちゅくちゅと回すだけであった。オイルを塗ることで、施術者の手とこちらの肌の間に薄い膜が出来るのか、直接その手の感覚が伝わってはこない。しかし、関係のない筋肉がいきなり触れられると、きゅっと萎縮してしまうことが繰り返されていた。
 そういうわけで、50分間、緊張しっ放し。なんか疲れた。コスト考えると次はないかな。つーか、普通にマッサージチェアでええよ。

 
 2日目は箱根駅伝(往路)。
 強羅駅は人でごった返していて、強風のためケーブルカーや遊覧船は運行中止。やむなく、宮の下まで登山鉄道に乗り、富士屋ホテル前の中継スポットに陣取る。風が強く寒い・・・ 全選手が通り過ぎるわずか20分のために、1時間ぐらいスタンバッて、終わってみたら、これまた疲れた・・・まあ、臨場感はなかなかでしたが。

 帰りの登山鉄道は、帰宅する人の鬼のような行列。宮の下の駅に入れない人が列を作り、車内は押し合いへし合い。下りはまだしも、上りはスイッチバックもあるし大変だなあと思いながら。。
 そもそも、箱根登山鉄道は1時間4本の運行で、2両編成(スイッチバックだから)。
隣のオバチャンが「両数増やしてくれたらいいのに」と愚痴っていたが、そりゃむりだよ、と思った。

 まあ、箱根は電車が集客するには大きすぎる観光地なんですね。車がどの程度規制され渋滞を作っていたかは知らないが、概して日本の観光地って温泉とセットになっているから、日光いろは坂で紅葉の時に経験した大渋滞と同じで、イベントであっさりとキャパを越えるんだろうなあ。事故がなかったからよかったけど、登山鉄道の車掌さんに同情してしまった。。
 

2013年1月1日火曜日

あけましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。

昨年は、今さらながら読書に目覚めた1年でした。
一方で、寒くなってからは、体を動かすのが億劫になってしまったのが反省点。

さて、一年の計は元旦にあり、ということで、今年の抱負を。
今年は、今の本職である研究を進めて、できれば論文を完成させたい。

そして、認知神経学を通して、人文・哲学思想・宗教・人間科学を自分の中で繋いでいきたい。これは、相当曖昧な話だが・・・

その上で、本職である小児を取り巻く関わり、を再認識・評価し、教育・養育・療育の在り方を考えたい。

元旦に、ジュネーブ宣言を噛み締める。


  • 私は、人類への貢献に自らの人生を捧げることを厳粛に誓う。
  • 私は、私の恩師たちへ、彼らが当然受くべき尊敬と感謝の念を捧げる。
  • 私は、良心と尊厳とをもって、自らの職務を実践する。
  • 私の患者の健康を、私の第一の関心事項とする。
  • 私は、たとえ患者が亡くなった後であろうと、信頼され打ち明けられた秘密を尊重する。
  • 私は、全身全霊をかけて、医療専門職の名誉と高貴なる伝統を堅持する。
  • 私の同僚たちを、私の兄弟姉妹とする。
  • 私は、年齢、疾患や障害、信条、民族的起源、性別、国籍、所属政治団体、人種、性的指向、社会的地位、その他いかなる他の要因の斟酌であっても、私の職務と私の患者との間に干渉することを許さない。
  • 私は、人命を最大限尊重し続ける。
  • 私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や市民の自由を侵害するために私の医学的知識を使用しない。
  • 私は、自由意思のもと私の名誉をかけて、厳粛にこれらのことを誓約する。

私は、そもそも小児科医を志した際に、「超高齢化社会で、活かし続ける医療を自分が実践し続ける意味」を問うて、内科(や外科)の道を捨てた経緯がある。しかし、小児科医になってみて、生まれながらの障害という「生そのものの意味を問う」ことを突きつけられながら現在に至るわけだが、改めてこのジュネーブ宣言を見て、「人命の尊重とは何か?」、「健康とは何か?」、「医師としての良心と尊厳(道徳的・良識的配慮)とは何か?」の3つの問いを
考えていこうと思った。
 端緒は、一つは尊厳死という社会問題。子供の養育環境、社会的環境を通して見る発達への影響、身体的健康と精神的健康の均衡の問題。そして、出生前診断の技術進歩と運用の問題。これは、iPSにも当然通じること。

 昨年は、分人主義という概念から、「人は死んだ後も、生きている(残る)者との分人を通して半分は生きる」という死生観を学んだ。これは、「生きることの意味」を考える上で、ずいぶん人の悩みを軽減するものだと思う。

 しかし、ターミナルケアに携わる医師による、「クリスチャンは安楽に死を迎えるケースが多い」という話は、死の受容には、一神教的な神・人間の関係がむしろ都合が良いと言うことを意味している。死に向かう人間には、「生きていくための処方箋」は必要がなく、むしろ生への執着を強めてしまうだけなのかもしれない。しかし、生きた証が金や株券やゴミだけでは、悲しい。生きている時から、「いかにして死に向かうのか?」は、やはり考えておかないといけないことなんだと思う。「急な病は、自分のこととして想像しにくいもの」というやむを得ない思考回避をどのように克服していくか?医者故の問いを今年もうだうだ言っていきたいっす。