2012年8月27日月曜日

文芸春秋編 夢売るふたり 西川美和の世界 を読む。




「蛇イチゴ」で西川美和がデビューしたときに、多くの評論家が書いていたように、僕も、日常の中に潜む人間の善意と悪意のぶつかり合いを正面から、しかし柔らかく描くことができる作家であると思った。アニメのリメイク全盛期に「オリジナルの脚本で勝負できる、期待の女性映画監督」という声が聞かれるのにそう時間はかからなかった。

 そして、「ゆれる」「ディアドクター」で、彼女は、その確かな実力を証明し、現代を代表する監督の一人に数えられるようになった。特に、「ミニシアター」と「シネコン」の中間を行く作品として、希有な存在となりつつあろう。

 そんな彼女の新作、「夢売るふたり」の公開を前に、彼女の世界を過去の作品の論評、本人のインタビューや糸井重里との対談を交えて回顧する1冊。

 このなかで、彼女自身が「恋愛や男女を描くのが苦手である」と述べるのは、おそらく本音ではないか。この監督の真骨頂は支配・被支配の関係性の揺さぶりにこそあるのであり、今回のテーマである結婚詐欺を通して、主人公の夫婦関係がどのようにゆれていくのか、はまた興味深い。それよりも、「ゆれる」のアイデアが彼女自身が見た夢から来ていることや、「ディアドクター」の前に、プレッシャーから心療内科を受診し、そのときに出会った「いい加減な」医師や、卵巣腫瘍の入院中に出会った点滴のヘタな研修医とのかかわりからディアドクターが生まれたことなど、作品というのはどこから生まれるのかわからないな、というエピソードがあって面白い。

 そして、斉藤環による「ディアドクター」評が、目からウロコであった。
地方における偽医者システムを支える関係性が「恋愛」であるということ。
秘密の往診⇒食事⇒診療所での秘密の待ち合わせ⇒胃カメラを通して結ばれるふたり⇒事後の語らい の件は、恋愛に似た顔を赤らめたくなる初々しさが漂うという考察。なるほど、地方僻地にて「患者一人一人の役に立ちたい」というモチベーションは、恋愛に似ているのだ。モテたいんだ。偽医者の曰くつきの事情を知り、共犯関係を結ぶ看護師と薬剤師は、さしずめ、共同体を成り立たせる家族構成員ということになろうか?
 家族に限らず、地域でも共同体でも「個人の事情と大人の事情」が介在する。
 科学者として生きるのか、高度医療を提供する専門病院で先端医師として過ごすのか、共同体の中で疑似恋愛に似た関係を続けるのか、端的に言って医師の生きる道はそのいずれかということになろうか?

 

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