2013年1月29日火曜日

想像力の鍛え方

「何者」の話の続き。
想像力のない人間のことを上から目線で軽蔑していた主人公は、唐突に、「あなたこそ、そうやって観察者の立場に立つことで想像力を働かせていない」ということを指摘される。複雑な世の中で、想像力を正しい方向に働かせることの難しさ。

自閉症は、コミュニケーションと社会性の障害と言われる。
そして、二言目には、「想像力の障害」と言われる。

独りよがりの想像は、空想であったり、もっとひどいと「妄想」ということになる。
被害妄想や誇大妄想などは、統合失調症などの精神疾患や神経症・人格障害でも中心症状になることがしばしばである。

では、人は、どうやって想像力を働かせることを学ぶのであろうか?
この問いは、案外難しいと思う。

認知心理学的には、想像力の基本は、「メタ認知」である。
つまり、「心の理論」に代表されるような、「他人の視点から物事を捉えること」。

発達心理学的に、その第一歩は、「三項関係」である。
浮世絵でよくある、母と子が、同じ月を見ているというもの。これが、「共感」を生む。
好きな人が見てる物を、僕も見る。そして、お母さんが微笑んでいるから、僕も嬉しい。という感情が芽生える。

そのうちに、保育園で、人の物を盗ってしまって、先生に怒られる。
「物を盗るのはいけないことです。盗られた◯◯クンの気持ちになったら、どう思いますか?」と諭される。「先生、ごめんなさい」が、感情を伴えば、メタ認知の第一歩である。

 さて、より高次の想像力は、事をやらかしてからでは遅い。人を泣かせた後で後悔しても遅い。そうして、人は、さまざまな経験をストックさせて、「先回りして」相手の気持ちを想像する事を学ぶようになるわけだ。

 科学的根拠に乏しい個人的経験で申し訳ないが、想像力の豊かな人は、視野が広く、人の事をよく観察している。そして、これはあくまで「私の想像」だが、彼らは日々、想像力を働かせるシミュレーションをしている。

「あのとき彼はどう思ったんだろう?」「こういう風に接したらもっとよかったかな」など、自ら問いを立てている。
 しかし、そうそう日常的な対人関係の中でシミュレーションをしていたら疲れてしまう。だから、我々は、「グループ」というものを作り、「気のおけない」仲間と群れるようになる。そして、違和感を感じる相手に対しては、場合により「いじめ」「からかい」などの形で、違和感を表明するのである。
 もちろん、このときに、からかったら相手は嫌だと思うだろうとシミュレーションできる人は、決していじめやからかいを実行しないだろう。そのような「抑制機能」は人間が大人になるために必須な能力である。

では、実際の現場で、想像力の足りない子に、我々は何が出来るのだろうか?
話が振り出しに戻って堂々巡りしているが、私は、想像力を鍛える方法は大きく2つなのだと思う。一つは、部活などの集団生活で適応しようと努める事、そしてもう一つは、文化的生活によって自己・他者の内面に深く入り込む事である。

ここで、僕自身の想像力の在り方の変遷について振り返っておこうと思う。

僕の想像力は、学校で八方美人になることから始まった。過適応である。
しかし、人とあわないある違和感をずっと抱えていた。
大学に入ると、自分に文化的な刺激を与えてくれる友人に出会った。そして、映画館やレンタルビデオ屋に通うようになる。1本の映画が与えてくれる想像力というのは計り知れなかった。脇役の所作や、同じ映画監督の映画の中に精通するスタイル、テーマを想像したり、映画の時代背景を想像したり、「想像の自由」を学んだ。そして、なるべく深く知りたいと思い、評論を読みあさった。ある意味、頭でっかちであったかもしれない。まあいいではないか?

そして、臨床医としての数年を経て、今は読書が楽しい。読書は、映画よりも、より想像力を働かせるのが疲れる。それは、映像そのものを想像しなければならないから。すべてが自分の記憶と視覚と文章読解に負うから。その点、映画は2時間で終わるし、そこまでは疲れない娯楽である。
 でも、読書は、コストが安いし、映像がないからこそ入り込めるものがある。最近わかってきたのが嬉しい。

そして、もう一つ。絵と音楽である。
映画においても音楽はもちろん重要だが、純粋に聴覚から想像すること、また、1枚の絵から視覚だけで想像する事。これがなかなか今の自分にはまだ難しい。頭でっかちだからね。

最近は、心地よい音楽に身を委ねる、ということを試み中である。
思えば、昔は、売れ筋のfamiliarity の高い曲にばかり関心があった。音楽じゃなくて、「商品」。絵もそうだ。ガイドブックに載っている「有名な絵」を見に行く。もっと自由でいいじゃないか?最近はそう思う。むしろ、その絵の時代背景、音楽のルーツ。そういうものを学んでから見るのも悪くない。同じ頭でっかちなら、その方がいい。

想像力って、大人になると頭が固くなるから、どんどん弱くなっていくんだろうな。
せめて、違う世代の人たちの考えている事を想像しようとするという想像力だけは持ち続けたい。町田康のテーストオブ苦虫を読みながら。

2013年1月28日月曜日

朝井リョウ 「何者」

最年少直木賞受賞の上記作品を読了。

前作、「桐島部活辞めるってよ」では、ある事件をきっかけに、スクールカースト呼ばれる高校生の序列や友情に生まれる不協和音や化学変化を描いた秀作であった。吉田大八により映画化された作品は、今年度のキネマ旬報の2位であった。

そして本作は、現在の大学生の就活を通した微妙な人間関係をまたしても描く。

以下、ネタバレ。

「ラスト30ページの衝撃を見逃すな」みたいなキャッチコピーが独り歩きしたので、ミステリーみたいな変な先入観を持って読んでしまったが、いたって等身大な青春小説だと思う。対比として浮かんだのは、伊坂幸太郎の「砂漠」である。俯瞰的な主人公の視線から大学生活が描かれるという点で似ている。(もっとも、砂漠はもう読んでからだいぶたつので記憶があいまい)

しかし、朝井リョウは、妙に意地悪で冷めた目だ。少なくとも、小説の登場人物に自分を仮託したり、感情移入したりはしない。

現在を生きる若者に必要な要素として、頻繁に「想像力」と「バランス」という言葉が登場する。
そして、その能力?が最も露骨な形で現れるツールとして、SNS特にtwitterを持ってくる。

奇しくも、35になるおじさんは、twitterを本格的に初めて3か月。それまではFacebook派だったので、twitter vs Facebook問題は遅まきながら自分にとってリアルなテーマなのである。

おじさんは、ひねくれた方向に真っ直ぐなので、Facebookの承認欲求願望に飽きてきた。
twitterの最大のメリットは、くだらなくて、今つぶやかないと、絶対すぐ忘れちゃうよ、ということをパッとつぶやくことができることと、フォローしている人の「お、いいこと言うじゃん」とか、「これ、いただいとこ」というつぶやきをタイムラインに残すべく「ポチっと」リツイートor お気に入りに登録 できることである。

そういう意味で、この小説の登場人物たちが、いくら就活情報を得るためとはいえ、リアルな友人同士がtwitterで近況やらなんやらをつぶやいていることにまず違和感があった。
 twitterって、リアルじゃないけど、この人、きっと自分と趣味あうよ、という半ば妄想に似た想像が醍醐味なんじゃないの?

もちろん、有名人はじめとした公人のアカウントは、きちんと社会(or ふぉろわー?)に発信するという意味を持つだろう。でも、ほとんどの人は私人であり、私人だけど、たまには公人みたいに偉そうにつぶやいてみたいという欲求にも応えてくれるツールだと僕は認識している。

だから、twitterでの人格が、FBでの人格とまるっきり違う。これはいいと思うんだが、twitterのアカウントを2つ持って、使い分けるということろが、まず今一つピンとこない。「疲れないか?」と問いたい。そして、両方とも私人として、片方では当たり障りないことを、そしてもう片方では毒を吐きまくる ことって、ものすごく露悪趣味だろう。
 結局のところ、この小説は、観察者で俯瞰的にモノを見ていた主人公が、そうやって優位に立とうとしたが、現実の自分の卑小さを、ひょんなことから指摘されて、自分の卑小さを受け入れるストーリーとしか思えなかった。

 リアルなところは、「一億総評論家時代」とも言うべき、「匿名による批判」の問題だろう。しばしば、有名人のtwitterが炎上する。SNSは、理想の自分に比して現実にはうまくいかない自分のストレスのはけ口として機能してしまっているという問題点は正しいと思う。

アカウントを使い分ける、ということは今の若い世代はどの程度やりきっているのだろうか?
分人はリアルの世界だけのものではないとは思うが、自分で演じたりコントロールできるものではない、というのが平野さんの主張だ。

僕は、この小説は、最後に主人公の破綻という形で終わるというどんでん返しという意味では、まあまあ良くできていると思うが、その破綻が唐突に他者により語られるだけ、というところが不満だ。内部から崩壊していくべきテーマだと思う。まあ、そうするといやでも「病気」にならないといけないんだけど。でも、現実には、そっちのほうが多数でしょう。

2013年1月10日木曜日

子供と電車

 小さい子がいると、電車に乗れないということをよく耳にする。
特に都心ではラッシュもあるので、深ーい都営大江戸線ぐらいしかベビーカーを見ない気もする。
 少し前にさかもと未明が、騒ぐ子供を飛行機内で叱り、抗議した騒動があったが、図らずも今日中央線内で、2組の母子が同乗し、3−4歳と思しき2人の子供がギャーギャーと大声でわめき散らしているシーンに遭遇した。そして、その空間にいる当事者として問題を考えてみた。

 2人の保護者は、互いの話に夢中になっていた。子供たちは、輪唱のように一方が大きな声を上げると、それに呼応する形でもう一方がさらに大声で返すという行為を繰り返した。その声が止む気配がないため、周囲の乗客は、それぞれ視線を注いだ。保護者は、2人の子供に、各々「しーっ」とか、「声が大きいよ」と声をかけていたが、子供達は親の忠告を無視して叫び続けていた。

 このシーンを、「最近の親は子供のしつけが出来ない」と一喝してしまうことも可能だろう。問題の根本は2点あって、

1.  公共の場で大声を出すことは周囲の迷惑になることなので、よくない。
2.   親は、自分たちが叱ったにもかかわらず、子供が大声を出すことをやめないことに対して、何らかの反応を示すべきである。

ことだと思う。どうも、躾というのは、親が子に上から施すもののように考えられがちであるが、必ずしもそうではないと思うのだ。コミュニケーションというのは、絶えず双方向性であるべきである。だから、注意しても子供が言うことを聞かなければ、もう一度、少し強い口調で再度注意すべきである。親の注意が形式的なものであったからこそ、子供達は、この親の声かけに対して反応しなかったのである。
 そう考えると、さかもと未明が飛行機内でとった行動は、妥当であった可能性がある。
躾という親子間のコミュニケーションが有効でないならば、「怖いオバチャン」の出番ではないか?
 母子関係のねじれは、子供が難しい年齢になったから表面化する、というばかりではなく、案外、このような幼児期からの双方向性のコミュニケーションの反復の欠如に問題があるのではないか、と思えるのである。

2013年1月9日水曜日

運動嫌いの理由

 年末から首が痛くて最初肩こりだと思っていたのだが、なんか血圧が高めなので、血圧計をちゃんとした上腕式のものを購入して定期的に測るようにしてみたら、首が痛い時は血圧が高かった。
 いよいよ来たかアラフォーメタボということで、年明けてジム通い再開。今度はサステナビリティーを重視して、短時間でも週3−4回を目標に。岸田みたいにラーメン控えて、食事は塩分表示をチェック。漬け物や醤油などにも気をつけて、生野菜をとる。酒の量は適量に、と、こんなに自分にいろいろ課していつまで続くことやら。

 こんなことここで告白することでもないが、僕は運動嫌いである。運動音痴であるから苦手であるということもあるのだが、昨日すごい混んでいたジムの更衣室で自覚した。僕は「汗をかくこと」が昔から嫌いなのだ。

 最近よく政治家が「汗をかかないといけないんです」と演説しているが、いつからか汗をかくことが少なくなった。子供は汗をかいてもへっちゃらだし、炎天下でバーベキューとかする時に、男の汗にキュンと来る女子もいることだろう。しかし、あのジムの更衣室に充満する多数の男の「ブレンド汗」。この汗の何%が自分の汗かと思うと、嫌悪するような、申し訳ないような気になる。たぶん、曖昧な記憶をたぐり寄せていくと、「汗でじめじめした感じの感覚過敏」なのだと思う。プラス匂いと。

 いろいろなことに対して、「アー嫌だな」と思うのが先に来る人は不幸だ。その不幸は、ポジティブ思考になろうよ、という意識づけでどうにかなるものではない。どちらかというと、「汗をかかない運動法」を考えないといけない。がんがんにクーラーかける、がまず考えられるが、節電の時代に逆行する考え。

 普段、よく診療に当たってて、自閉症の子が20代超えると急激に太りだすことに遭遇する。彼らは、もともと過敏が強くて変化を嫌うので、運動不足になりやすいことに加えて、内服薬剤の影響、食事が(唯一の)娯楽となっているなど様々な要因が考えられるが、そんな彼らのメタボ対策として有効な運動法は、ありきたりだが、「散歩、ジョギング、水泳」である。彼らは素直なので、毎日習慣づけさえしてあげれば、散歩やジョギングは比較的取り入れやすい運動である。また、男性は「電車好き」のことが多いので、徒歩→電車→徒歩という過ごし方も目的意識を植え付けられやすい。
 しかし、私が驚くのは、水泳好きの自閉症者が多いことである。私は、水泳も嫌いである。なぜなら、塩素の匂いと、眼鏡を外さなければいけないから。過敏な彼らが、素直に水に馴染むとは思いづらい。しかし、おそらくは地道な経験の積み重ねだろうと思われるが、そのようにして水過敏を克服する人は案外多いのである。そして、水泳は、濡れるが案外汗はかかないのである。泳いだ後に爽やかな身体感覚が得られるという点では、汗の過敏が強い者に対しても効果があるに違いない。

 (感覚)過敏というのは、その人の嗜好やライフスタイルにも影響を与えるものである。同様に恐怖過敏、対人過敏なども。過敏さゆえにフタをしてしまいがちな思考回路をどのように解放してやるか、そのことは結構重要な問題な気がする。




 


 

2013年1月7日月曜日

平野啓一郎 空白を満たしなさい 感想

2012年は私にとって、平野啓一郎という同世代の偉大な作家を発見した年であった。

モーニングに連載されていた小説の書き下ろしが、タイトルの作品。

以下、感想。


過去の平野作品の中でも、ストレートな表現という意味では一番。幸せとは?、孤独とは?、死にたいという気持ちとは?、自分とは?死とは?生きるとは?
 死者の復生という現象を通じて、様々な人間の中に生まれる様々な問いと葛藤を、もつれた糸をほどくように展開していくストーリーは、謎解きのミステリーよりもドキドキする。
 
 人間の死は、寿命か、寿命未満かのどちらかである。途中の死がいつ来るかもしれない不安を慰めるものは、生の充実や疲労である。一方、寿命に向かっていく穏やかな歩みは、生きている人から遠ざかって「無」に近づいていく道程である。
 自殺が罪であるキリスト教社会と対照的に、日本には社会的分人を消す方法として「出家」があったということは興味深い。

 ゴッホの自画像の件から、自殺をする瞬間の人間は、幸せに生きたいと願うがために、その支障となる分人を「消したい」と願うのだ、と徹生が気づくところは圧巻。

 ラデックとの最後の手紙のやり取り。
 ラデックは、人生に起こる1回だけの重大な瞬間に何を決断するのか、がその人を規定するという考え方を我々の人間性に対して試練を与える意味で「悪魔的である」とし、死の一回性を肯定しつつも、「切れ味の悪いはさみ」と形容したことに、とても救われた感じがした。
 死を語る資格を持つ者の分人に影響を残すことが死するものの幸福である、ということは、死の恐怖を少なからず軽減してくれるものであるはずだし、この死生観に立つことにより、日常を生きていく上でいかに足場となる分人を大切にして(誠実に)過ごしていくべきか、という教訓にもなると思われる。
 このような筆者の呈示する死生観があるからこそ、この小説は最後に感動的なハッピーエンドを迎えることができたのであり、これこそ「決壊」での悲劇的なラストを越えて産み出された作品なのだ、と思った。


2013年1月3日木曜日

箱根にて

正月の箱根。それは、いつもテレビの中の世界だった。

 今年は年末に同窓会があって帰省したので、年明けの予定は未定だった。
ふと12月某日、じゃらん「年末年始の宿」を見て「箱根」と検索したら、ほぼ有名旅館はなかったが、たまたまリゾート&スパホテルの空きを発見し、少々値は張ったが、まあお正月だしということで即決した。

 お正月の箱根は天気が良く、強羅にあるリゾートホテルは、綺麗な外観とは裏腹に、畳の和室とタイル張りの内湯(+家族風呂)は昔風で、昔あった温泉旅館か民宿の温泉部分を残して、他を作り替えたことが予想された作りだった。料理は、地元相模湾の魚を中心としたイタリア料理フルコースで、鮑が非常に美味しかった。鯛・勘八・鱸のカルパッチョ、オマール海老のタリアテッレ、肥後牛のサーロインステーキ、ちゅら鮑のソテー、春菊ソース など。
 温泉は先程述べたように、むしろ古く狭い。しかし、運良く、2回とも他に客はいなかった。15組の宿泊客は、何をしていたんだろ?

 少し苦言を言わせてもらえば、接客の人があまり訓練されているとは思えず、いわゆる
老舗旅館に見られる「重厚なホスピタリティ」は感じられなかった。イタリア料理+レトロな内湯、に対して、果たしてこの宿のメインターゲットはどの層なんだろう?と思った。うっかり来ちゃったご老人は、ちょっと居心地悪いんじゃないんだろうか、と余計なことを考えていた。タバコぷかぷか吸ってエステして、っていう女子会2人組、みたいなのがジャストかなあ?

 初エステ経験。50分11000円のハーフボディーコース。
 wikipediaでエステティック(Aesthetic)を調べてみると、日本では、明治時代から「美顔術」が先駆けとされる。1970年代から、顔に留まらず、全身按摩、脱毛などが行われるようになる。1996年に日本エステティック協会ができて、国家資格ではないが、たかの友梨、スリムビューティー、ヤマノ、ミスパリなどのスクールに通って資格を取るみたいです。
 エステ感想。「自分は感覚過敏があるなあ」。言い換えると、くすぐったがり。
 触られると、本来は弛緩してほしい筋肉にピッと力が入る。それの繰り返しである。
 良いマッサージ師さんは、触れた手を離さずにゆっくりと隣接する筋肉群を包み込むようにほぐしてくれる。残念ながら、今回のエステは、オイルを塗りたくり、筋肉をくちゅくちゅと回すだけであった。オイルを塗ることで、施術者の手とこちらの肌の間に薄い膜が出来るのか、直接その手の感覚が伝わってはこない。しかし、関係のない筋肉がいきなり触れられると、きゅっと萎縮してしまうことが繰り返されていた。
 そういうわけで、50分間、緊張しっ放し。なんか疲れた。コスト考えると次はないかな。つーか、普通にマッサージチェアでええよ。

 
 2日目は箱根駅伝(往路)。
 強羅駅は人でごった返していて、強風のためケーブルカーや遊覧船は運行中止。やむなく、宮の下まで登山鉄道に乗り、富士屋ホテル前の中継スポットに陣取る。風が強く寒い・・・ 全選手が通り過ぎるわずか20分のために、1時間ぐらいスタンバッて、終わってみたら、これまた疲れた・・・まあ、臨場感はなかなかでしたが。

 帰りの登山鉄道は、帰宅する人の鬼のような行列。宮の下の駅に入れない人が列を作り、車内は押し合いへし合い。下りはまだしも、上りはスイッチバックもあるし大変だなあと思いながら。。
 そもそも、箱根登山鉄道は1時間4本の運行で、2両編成(スイッチバックだから)。
隣のオバチャンが「両数増やしてくれたらいいのに」と愚痴っていたが、そりゃむりだよ、と思った。

 まあ、箱根は電車が集客するには大きすぎる観光地なんですね。車がどの程度規制され渋滞を作っていたかは知らないが、概して日本の観光地って温泉とセットになっているから、日光いろは坂で紅葉の時に経験した大渋滞と同じで、イベントであっさりとキャパを越えるんだろうなあ。事故がなかったからよかったけど、登山鉄道の車掌さんに同情してしまった。。
 

2013年1月1日火曜日

あけましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。

昨年は、今さらながら読書に目覚めた1年でした。
一方で、寒くなってからは、体を動かすのが億劫になってしまったのが反省点。

さて、一年の計は元旦にあり、ということで、今年の抱負を。
今年は、今の本職である研究を進めて、できれば論文を完成させたい。

そして、認知神経学を通して、人文・哲学思想・宗教・人間科学を自分の中で繋いでいきたい。これは、相当曖昧な話だが・・・

その上で、本職である小児を取り巻く関わり、を再認識・評価し、教育・養育・療育の在り方を考えたい。

元旦に、ジュネーブ宣言を噛み締める。


  • 私は、人類への貢献に自らの人生を捧げることを厳粛に誓う。
  • 私は、私の恩師たちへ、彼らが当然受くべき尊敬と感謝の念を捧げる。
  • 私は、良心と尊厳とをもって、自らの職務を実践する。
  • 私の患者の健康を、私の第一の関心事項とする。
  • 私は、たとえ患者が亡くなった後であろうと、信頼され打ち明けられた秘密を尊重する。
  • 私は、全身全霊をかけて、医療専門職の名誉と高貴なる伝統を堅持する。
  • 私の同僚たちを、私の兄弟姉妹とする。
  • 私は、年齢、疾患や障害、信条、民族的起源、性別、国籍、所属政治団体、人種、性的指向、社会的地位、その他いかなる他の要因の斟酌であっても、私の職務と私の患者との間に干渉することを許さない。
  • 私は、人命を最大限尊重し続ける。
  • 私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や市民の自由を侵害するために私の医学的知識を使用しない。
  • 私は、自由意思のもと私の名誉をかけて、厳粛にこれらのことを誓約する。

私は、そもそも小児科医を志した際に、「超高齢化社会で、活かし続ける医療を自分が実践し続ける意味」を問うて、内科(や外科)の道を捨てた経緯がある。しかし、小児科医になってみて、生まれながらの障害という「生そのものの意味を問う」ことを突きつけられながら現在に至るわけだが、改めてこのジュネーブ宣言を見て、「人命の尊重とは何か?」、「健康とは何か?」、「医師としての良心と尊厳(道徳的・良識的配慮)とは何か?」の3つの問いを
考えていこうと思った。
 端緒は、一つは尊厳死という社会問題。子供の養育環境、社会的環境を通して見る発達への影響、身体的健康と精神的健康の均衡の問題。そして、出生前診断の技術進歩と運用の問題。これは、iPSにも当然通じること。

 昨年は、分人主義という概念から、「人は死んだ後も、生きている(残る)者との分人を通して半分は生きる」という死生観を学んだ。これは、「生きることの意味」を考える上で、ずいぶん人の悩みを軽減するものだと思う。

 しかし、ターミナルケアに携わる医師による、「クリスチャンは安楽に死を迎えるケースが多い」という話は、死の受容には、一神教的な神・人間の関係がむしろ都合が良いと言うことを意味している。死に向かう人間には、「生きていくための処方箋」は必要がなく、むしろ生への執着を強めてしまうだけなのかもしれない。しかし、生きた証が金や株券やゴミだけでは、悲しい。生きている時から、「いかにして死に向かうのか?」は、やはり考えておかないといけないことなんだと思う。「急な病は、自分のこととして想像しにくいもの」というやむを得ない思考回避をどのように克服していくか?医者故の問いを今年もうだうだ言っていきたいっす。