2012年8月6日月曜日

日本的であり、脱日本的であること

ロンドンオリンピック。

皆さんそれぞれいろんな感想をお持ちだと思う。予想された金メダルより少ない反面、総メダル数はすでに北京を超えている。

 これまで日本のお家芸であった柔道とマラソンが凋落し、平井コーチ率いる競泳は、金こそないものの層の厚さを見せつけた。さらに、バドミントン、卓球、フェンシング、アーチェリーと、個の力以上の団結力、チームワークにおいて日本らしさを見せて、サッカーも期待が膨らむ。

 よく言われる「オリンピックにおける国の威信」は、すなわち「金メダルの数を中心とした国の順位付け」にほかならず、そうなると、団体で金メダルを取りながら個人総合で誰一人出場しなかった中国体操男子チームに象徴される、「スペシャリスト養成工場」と化す。

 金メダルとそれ以外では、報奨金も、その後の注目のされ方も、スポンサーも違うのは当然だが、オリンピックにおける日本的な目標への過程が、圧倒的な才能ではなく、地道な努力の積み重ねによる「ようやく銅(銀)メダルに到達した」という形であることが、このメダル数の偏重になっていることは注目すべきである。
 さらにいえば、個の力を重層的に積み重ねて「団体」としてメダルを取ったということもデータには出ない部分であるが、注目すべきだ。延べ、「メダルを獲得した人の数」を算出してみれば、日本は、競泳リレーで+3×2、フェンシングで+3、体操で+4、バドミントンで+1、アーチェリーで+2、卓球で+2 計18人がメダルを獲得しているのである。サッカーがメダルを取れれば+17×2である。バレーも頑張れー。
 
 今の黄金世代は、目的への道程がストイックだと感じる。着地にこだわる内村、年齢を超えようとする室伏、2連覇の自分を超えようとし、挫折しながらもがいた結果、銀メダルを獲得した北島。「4年に1回のこの大舞台で結果を残さない限り、フェンシングの発展はないという自覚を持つべきだ」と言い切った太田。みんな、ブレていない。シンデレラストーリーをマスコミがもて囃す中、メディアに露出しながらも足許をしっかりと見据えているなでしこ。この「日本的な甘えの構造」をすでに持たずに育ってきた「脱日本的」世代が、団結力という「日本的」武器を持って世界に挑んでいるのである。

 最後まで応援しよう。

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