2012年10月31日水曜日

希望の国@ 新宿ピカデリー

 園子温がついに、フィクションとして原発を撮ったということで、公開前から話題だった上記作品。台湾やイギリスからも出資があり、園の実力がいかに世界で認められているのかが窺えるが、それでも東京ではヒューマントラスト有楽町、MOVIX亀有、ピカデリー新宿の3館のみの上映。しかも、平日18時の回なのに、ヒミズと比べると圧倒的に客の入りが少ない。いくら原発後の世界を描こうとも、やっぱりマンガ原作のほうが話題なのか、と複雑な気持ちになる。

 以下、ネタバレ。
 
 まあ、これをフィクションで撮ることにいろいろな意見はあると思うが、とにかく観終わった後の強度。園お得意のバイオレンスは今回は全く抑えられており、その意味では真に社会派の映画を撮りきったと言える。
 NHKでのドキュメンタリーでは、妻の神楽坂恵とともに、完成した映画を南相馬の被災者に届けた。この正面からの態度に彼の自信と誠意がうかがえる。

 世代の違う3組のカップルを軸に物語は進んでいく。大谷直子演じる認知症の妻が、「もうかえろうよ〜」と繰り返しつぶやく。帰る場所を失った荒野の子供たちが、同じく家族と故郷を津波で失ったヨーコに対して、「一歩、二歩、三歩じゃないよ。これからは、一歩、一歩、一歩だよ」と諭す。この、同じ言葉を繰り返す手法は、ヒミズの「住田がんばれ、住田がんばれ」でも出てきた叫びであるが、今回は、そのスピードがずいぶんと違う。若者の生への衝動さえも飲み込んでしまう津波と、あまりにも長い時間に渡って、見えない敵との戦争を余儀なくされる原発。20km 圏内に容赦なく打たれる杭にとどまらず、夏八木勲と村上淳の親子の中に打たれる見えない杭で分けられた壁。

 放射能という「長期にわたって蓄積する性質を持つもの」が、人間の在り方に及ぼす影響は計り知れない。酪農家としてこれまで生きて、守ってきた土地と動物・植物を失った者の還る場所は、この世にはない。これから生まれ来る命を宿した者の帰る場所は、「変える場所」である。土地やら故郷やらというものは、本来の自然の時間の中では、「還る=連鎖」することが普通であるのに、そういう前提を失ってなお、人は「復興」という名の下に故郷に「還る」ことができるのか?

 廃墟と化した避難区域で、盆踊りの音に誘われて、行き場を失ったペットや家畜の中を駆け出す智恵子のシーンが素晴らしい。認知症の人が時に見せる、無邪気なまでなピュアさは、まさに幼心に帰っている。
 放射能恐怖症になって周囲から揶揄される神楽坂恵が、強迫的な面とは裏腹に、避難勧告を無視、故郷に留まり続ける義理の両親を愛し、尊敬しているがために、防護服を着たまま会いにいくアンビバレントな感情も素晴らしい。突出した行動で「異常」と判断してしまいがちな、「自分でモノを考えもせずに、自分は正常と思い込んでいる大衆」と、関係性がいつしか反転して映る。ただ純粋に、夫を、我が子を、故郷に留まり続ける(義理の)両親を愛しているのだ。
 情報から得た知識や理性ではなく、内なる愛情や情動に突き動かされる行動にこそ希望が宿るのだ、ということを映画全体で体現しているような作品だと思う。やはり、園は詩人なのだ。



2012年10月17日水曜日

慈しみ

 昨日のくるり電波で、読者のお悩み相談で、岸田が「恋は病気みたいなもんだから、恋してない状態は健康なわけで、健康だからこそ打ち込めるものを探したらどうでしょう?」と言っていた。
 恋は急性の変化だけど、愛や家族は、ゆっくり時間をかけて育んでいくもの、みたいなことを言ってた。

 最近よく、彼は「慈しみ」という言葉を使う。
慈しむを辞書で引くと
1.  愛情を持って大切に扱う 

関連語は「愛でる」
英語では to love

語源は、平安時代の「うつくしむ」が「いつ(斎)く」への連想の結果、語形が変化し中世末頃生じたとされる。

慈悲について
 サンスクリット語のmaitri (マイトリー)から。 
 他の生命に対する自他怨親のない平等な気持ちを持つこと。
 一般的な日本語では、「あわれみ、憐憫」(mercy)の気持ちを表現。

 本来は、慈=いつくしみ(相手の幸福を望む心)
     悲=あわれみ(苦しみを除いてあげたいと思う心)

 仏教における慈しみは、ミトラ=友情・友人の意味で、あらゆる人々への平等な友情を指す。キリスト教では、人々への憐憫の想いを表す。仏教では、一切の生命は平等であるとしている。
 
 慈悲についての思想(宗教)的定義は、まだまだ奥が深そうだ。

このページが面白そう。 後で読う。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/bukkyokirisuto09.htm

あさイチ 出生前診断

 今朝、研究室に行く前に準備してテレビを見ていたら、夏菜のハイテンションの後に、
あさイチで、「出生前診断」の話題をやっていた。
 NHKスペシャルで何度かやっているから、NHKでこのテーマ自体は別に驚かないけど、こんな、奥様方が子供を送り出して見るお気楽時間帯に、こんな重いテーマで。
 室井佑月や内藤剛志が顔をしかめて、能天気イノッチまでも、「カウンセリングの体制をしっかりしないと」とやたら真面目なコメント。

 途中、第一子がDown症の両親が、二人めを授かった時の「出生前診断をするかしないかの葛藤」を語る件が、とても良かった。
 奥さんは、「旦那さんにさらに育児に負担をかけることを考えて、検査しようか迷ったが、検査した後に堕胎することは、上の子を否定することになるから、自分としては検査をすることが考えられなかった」という。旦那さんも同じ気持ちで、結局は検査せず、健常な第2子を授かり、その後9年になる。「知識がないまま、精神的なケアの体制が不十分なまま、検査を簡便に受けることばかりができるようになる世の中で、自分たちの経験を少しでも伝えることが出来れば」と取材に応じたと言う。

 それに対する視聴者からのFAX 「検査を受けなかった人の美談ばかりを強調してはいけない。実際に障がい児を持つことで育てていけないケースも五万とある」とすかさず有働アナが釘を刺す。

 印象的なのは、医者が患者に言う、「選択はあなたの自由です」ということば。僕は、産科遺伝カウンセラーの資格もないし、取る気もないので敢えて言うが、検査を受けることが自由なだけであり、選択は義務なのだ。つまり、検査を受ける権利が、選択をする義務を産むというだけのことだ。だから、その義務を負わされたくない人は、権利を主張しなければ良い。極端に言えば、子供を作るのも権利であって、産んだからには育てる義務があるのだ。権利と義務ってそういう関係でしょう。

 新しい技術が生まれて、進歩すれば、また新しい問題が生まれる。当たり前のこと。
ただ、その新しい技術は、多くが、効率と経済を重視して優生的な思想でなされているのだろうな、とは感じるが。脳死移植、iPS, 尊厳死・・・。

 僕は、人間が人間の生死にとやかく言う権利はないと思っているので、何週までなら人工中絶可能などという恣意的な基準は、人間が決めるものではないと思ってさえいる。
 しかし、それでも現実的に早産や染色体異常によって望まれない障がいを持って産まれる子と、苦労して育てなければいけない宿命を背負った家族に対しては、精一杯医者として接しようと思う。それが、医者になる権利を持って、小児科に進む権利を持って、障害のある子と接する権利を持った小児神経科医としての自分の義務だと思っている。

 番組に慶応の産科の教授が出ていたが、カウンセリングをしっかり受けない限りは、検査を進めないほうが良いと言っていた。迷う人には、現実を見せることも一つ。迷うことさえないという思い込みの強い人には、何も言うまい。それがユーザーニーズというやつか?


 


2012年10月15日月曜日

メンヘラその2

最近のお気に入り。
舞城王太郎からの〜 本谷有希子。
阿修羅ガールの誰かの感想を読んでて、本谷有希子の「生きてるだけで、愛」に行き着いて、富嶽百景の表紙に惹かれて読んでみたら、完璧にメンヘラ女子の話だった。

角田光代をはじめとする自意識過剰系女流作家の文章は、かつて生理的嫌悪感を感じて、食わず嫌いになっていたんだが、この「生きてるだけで、愛」の屋上でのクライマックスの画が、とても素晴らしかったので、やっぱり演劇畑の人の文章は、ただの物書きに比べて動的で力があるな(リビドーとでも言うのか?)、と感心していた。

ひょんなことから本谷有希子をフォローし始めて、「腑抜けども」なんかも映画でも本でも読んでないので、吉田大八だし見ないとなあ、なんて思いながら、紀伊国屋新宿のDVDアイランドに行ったら、なんと「舞台DVDコーナー」があるじゃない??話題の長澤まさみ×リリーフランキーのクレイジーハニーも本谷作なんだ、と思いながら、見つけてしまった!

今、6年ぶりに再演している「遭難」。
劇団、本谷有希子の看板、吉本菜穂子はもとより、なんとつぐみ!

翌年に芸能界から姿を消すので、そろそろメンヘラ系に入った頃かもしれないが、いい芝居だよ、これ。

これまで、舞台は短期公演でなかなか予約も取れず、行く機会がなかったが、まずはDVDで入門だなあ。こりゃ。

(続く)

2012年10月14日日曜日

桐島、部活辞めるってよ

 中森明夫のtwitterを読むまで、全くこのタイトルに興味が沸かなかった。そりゃそうでしょう、夏休みにこのタイトルの映画やられても、「Rookies」とかの中高生向け青春路線映画だと思ってしまうわ。

 ただ、一つ失念していたのは、吉田大八が脚本・監督であったということ。
 パーマネント野ばらの、ただならぬ世界観の次回作という意味で注目しとくべきであったか??

 朝井リョウの原作も後追いで読んだのだが、割と大胆に原作を改編している。
岩井俊二やジョゼ好きの映画部副部長を、ゾンビ屋に仕立てたあたりは心憎い。
 実は、後付けになるが、自分のキャラは100%、この映画部副部長のキャラに被っているのだ。きょうのできごと、ジョゼ、池脇千鶴、週刊真木よう子、岩井俊二・・・
モテキに次ぐ、文化系陰性男子思い出ひたる系。

 スクールカーストと呼ばれるヒエラルキーは、気がついたらできているもの。中高におけるヒエラルキーは、田舎の場合、まず何となく「自由に校内恋愛できる」をキーワードとして出来ている気がする。体育会系男子とリア充女子、の組み合わせが多いと思うが、それに加えて、この映画では出てこないが、「(ビジュアル)バンド系」もあるだろう。

 物語終盤の、菊池と前田の8mm越しの邂逅。救世主を求めるものと、救世主を待ちわびていないもの。前田は、あくまでも現前とする菊池を「やっぱりカッコいいね」と無邪気に言う。僕は、副部長のひねくれさに対して、部長の前田のこの素直な眼差しこそ、重要なポイントだと思う。好きな女の子に対し、マニアックな話をわずかな(映画好きという)接点を頼りにかましてしまうイタさは、カーストの下である限りは「イタい」のだが、高校を卒業し、カーストから解放される暁には、強みになる可能性があるのだ。
 しかし、決して背伸びはせず、現実的に「映画監督は無理だと思う」という、下ならではのあきらめ。未来は無限に広がってなんかいない。この素直さと締念の狭間にこそ、持続可能性があるのではないか、と思う。

 果たして、器用貧乏の菊池は、きっと、ソツなくこなし、ソツなく就職し、ソツなく結婚するだろう。きっと、高校の時のこの邂逅が、彼を平凡なインテリとは違う道を提示してくれるのかもしれないと信じたいが。。

 中森明夫の言う、「もはや現代演劇では、青春映画は成立し得ない」という「リトルピープル」の時代に、それでも私は、年甲斐もなく、高橋優の「陽はまた昇る」をシャウトしてしまうのである。熱さって大事なんじゃないかなあ??

 

2012年10月13日土曜日

メンヘラとSNS

今日も日々繰り返される、イイネ!の嵐。
以前このブログでも、2ch以外にネガティブを許容するSNSが必要では、と提言(?) したが、どうにもFacebookで承認欲求がダダ漏れてる書き込みを目にすることが増えた。

一言で言えば、「頑張ってる私」。この手の書き込みには、まず間違いなくイイネ!ボタンを押せなくなる私。お決まりの「鬱を励ますのは禁忌」を忠実に守っているからなのだが、ここで気になるのが、

SNSをやってるうちに、承認欲求が肥大化して病むのか、
もともと承認欲求が強いタイプの人間が、このようなSNSを利用するのか、

ということ。

僕の意見をはっきり言うと、抑うつの人は、気分が立ち上がっても、もうFacebookには手を出さないほうがいい。
 なぜなら、このツールを使った承認願望は、満たされることなく病んでしまったわけだから、一時的な気分の解放にしかならず、なにか根本的に他人とのコミュニケーションの方法を変えないと解決しないと思うから。

 家でパソコンの電源入れて、ページにアクセスして、イイネ!を押すだけの承認なんて、何ら努力のいらないものだ。手軽さの極致。リアルコミュニケーションの入り口としてのツール以上のものを求めてはダメだと思う。苦しければ、会って苦しみを分かち合う。一人でもいいから、苦しい自分を承認してもらう。そして、結局は孤独に耐える訓練を経験として積み重ねていく。

 メンヘラのSNSへの実名書き込みなんて、痛々しくて見てられません。

2012年10月7日日曜日

とんび 前編

再放送で初めて視聴。

ベタな重松ワールドだが、ストレート過ぎて共感できなくても、泣かせる。
小泉今日子が演じる居酒屋の女将は、その年輪が彼女の芸歴の変遷とも合わさって、素晴らしいの一言。小泉今日子×古田新太とか、最高だね。

2012年10月3日水曜日

京都・美意識 

今日も、「一冊の本」より。

成人式で、大岡越前の悪代官が着ている様な袴を若者が羽織るようになり、ゴスロリのような毒々しい「赤」が着物に使われるようになったころから、「地方発ヤンキー文化」は全国に広がり、席巻するようになった。

もともとの日本人の美意識は京都発のものであり、刻々と姿形を変える自然の美をテーマに、補色を幾重にも使った独特の染色技術が「伝統」として受け継がれてきていた。

それは、華道、茶道はもちろん、にしんそばにまでみられる「引き算の美意識」に他ならない。
 http://www.shimadadesign.com/?p=1024

ヤンキー文化は、地方発のファミレスみたいな広がり。
ブランド文化も、その延長でしかない。
ステータスと美は、もともと相性が良くない。

京風おでん、にしんそば、湯葉、出し巻き卵、鱧、鯛。
京都、惹かれます。本気で移住しようかなあ。