2013年1月7日月曜日

平野啓一郎 空白を満たしなさい 感想

2012年は私にとって、平野啓一郎という同世代の偉大な作家を発見した年であった。

モーニングに連載されていた小説の書き下ろしが、タイトルの作品。

以下、感想。


過去の平野作品の中でも、ストレートな表現という意味では一番。幸せとは?、孤独とは?、死にたいという気持ちとは?、自分とは?死とは?生きるとは?
 死者の復生という現象を通じて、様々な人間の中に生まれる様々な問いと葛藤を、もつれた糸をほどくように展開していくストーリーは、謎解きのミステリーよりもドキドキする。
 
 人間の死は、寿命か、寿命未満かのどちらかである。途中の死がいつ来るかもしれない不安を慰めるものは、生の充実や疲労である。一方、寿命に向かっていく穏やかな歩みは、生きている人から遠ざかって「無」に近づいていく道程である。
 自殺が罪であるキリスト教社会と対照的に、日本には社会的分人を消す方法として「出家」があったということは興味深い。

 ゴッホの自画像の件から、自殺をする瞬間の人間は、幸せに生きたいと願うがために、その支障となる分人を「消したい」と願うのだ、と徹生が気づくところは圧巻。

 ラデックとの最後の手紙のやり取り。
 ラデックは、人生に起こる1回だけの重大な瞬間に何を決断するのか、がその人を規定するという考え方を我々の人間性に対して試練を与える意味で「悪魔的である」とし、死の一回性を肯定しつつも、「切れ味の悪いはさみ」と形容したことに、とても救われた感じがした。
 死を語る資格を持つ者の分人に影響を残すことが死するものの幸福である、ということは、死の恐怖を少なからず軽減してくれるものであるはずだし、この死生観に立つことにより、日常を生きていく上でいかに足場となる分人を大切にして(誠実に)過ごしていくべきか、という教訓にもなると思われる。
 このような筆者の呈示する死生観があるからこそ、この小説は最後に感動的なハッピーエンドを迎えることができたのであり、これこそ「決壊」での悲劇的なラストを越えて産み出された作品なのだ、と思った。


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