2013年1月1日火曜日

あけましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。

昨年は、今さらながら読書に目覚めた1年でした。
一方で、寒くなってからは、体を動かすのが億劫になってしまったのが反省点。

さて、一年の計は元旦にあり、ということで、今年の抱負を。
今年は、今の本職である研究を進めて、できれば論文を完成させたい。

そして、認知神経学を通して、人文・哲学思想・宗教・人間科学を自分の中で繋いでいきたい。これは、相当曖昧な話だが・・・

その上で、本職である小児を取り巻く関わり、を再認識・評価し、教育・養育・療育の在り方を考えたい。

元旦に、ジュネーブ宣言を噛み締める。


  • 私は、人類への貢献に自らの人生を捧げることを厳粛に誓う。
  • 私は、私の恩師たちへ、彼らが当然受くべき尊敬と感謝の念を捧げる。
  • 私は、良心と尊厳とをもって、自らの職務を実践する。
  • 私の患者の健康を、私の第一の関心事項とする。
  • 私は、たとえ患者が亡くなった後であろうと、信頼され打ち明けられた秘密を尊重する。
  • 私は、全身全霊をかけて、医療専門職の名誉と高貴なる伝統を堅持する。
  • 私の同僚たちを、私の兄弟姉妹とする。
  • 私は、年齢、疾患や障害、信条、民族的起源、性別、国籍、所属政治団体、人種、性的指向、社会的地位、その他いかなる他の要因の斟酌であっても、私の職務と私の患者との間に干渉することを許さない。
  • 私は、人命を最大限尊重し続ける。
  • 私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や市民の自由を侵害するために私の医学的知識を使用しない。
  • 私は、自由意思のもと私の名誉をかけて、厳粛にこれらのことを誓約する。

私は、そもそも小児科医を志した際に、「超高齢化社会で、活かし続ける医療を自分が実践し続ける意味」を問うて、内科(や外科)の道を捨てた経緯がある。しかし、小児科医になってみて、生まれながらの障害という「生そのものの意味を問う」ことを突きつけられながら現在に至るわけだが、改めてこのジュネーブ宣言を見て、「人命の尊重とは何か?」、「健康とは何か?」、「医師としての良心と尊厳(道徳的・良識的配慮)とは何か?」の3つの問いを
考えていこうと思った。
 端緒は、一つは尊厳死という社会問題。子供の養育環境、社会的環境を通して見る発達への影響、身体的健康と精神的健康の均衡の問題。そして、出生前診断の技術進歩と運用の問題。これは、iPSにも当然通じること。

 昨年は、分人主義という概念から、「人は死んだ後も、生きている(残る)者との分人を通して半分は生きる」という死生観を学んだ。これは、「生きることの意味」を考える上で、ずいぶん人の悩みを軽減するものだと思う。

 しかし、ターミナルケアに携わる医師による、「クリスチャンは安楽に死を迎えるケースが多い」という話は、死の受容には、一神教的な神・人間の関係がむしろ都合が良いと言うことを意味している。死に向かう人間には、「生きていくための処方箋」は必要がなく、むしろ生への執着を強めてしまうだけなのかもしれない。しかし、生きた証が金や株券やゴミだけでは、悲しい。生きている時から、「いかにして死に向かうのか?」は、やはり考えておかないといけないことなんだと思う。「急な病は、自分のこととして想像しにくいもの」というやむを得ない思考回避をどのように克服していくか?医者故の問いを今年もうだうだ言っていきたいっす。

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