2013年1月10日木曜日

子供と電車

 小さい子がいると、電車に乗れないということをよく耳にする。
特に都心ではラッシュもあるので、深ーい都営大江戸線ぐらいしかベビーカーを見ない気もする。
 少し前にさかもと未明が、騒ぐ子供を飛行機内で叱り、抗議した騒動があったが、図らずも今日中央線内で、2組の母子が同乗し、3−4歳と思しき2人の子供がギャーギャーと大声でわめき散らしているシーンに遭遇した。そして、その空間にいる当事者として問題を考えてみた。

 2人の保護者は、互いの話に夢中になっていた。子供たちは、輪唱のように一方が大きな声を上げると、それに呼応する形でもう一方がさらに大声で返すという行為を繰り返した。その声が止む気配がないため、周囲の乗客は、それぞれ視線を注いだ。保護者は、2人の子供に、各々「しーっ」とか、「声が大きいよ」と声をかけていたが、子供達は親の忠告を無視して叫び続けていた。

 このシーンを、「最近の親は子供のしつけが出来ない」と一喝してしまうことも可能だろう。問題の根本は2点あって、

1.  公共の場で大声を出すことは周囲の迷惑になることなので、よくない。
2.   親は、自分たちが叱ったにもかかわらず、子供が大声を出すことをやめないことに対して、何らかの反応を示すべきである。

ことだと思う。どうも、躾というのは、親が子に上から施すもののように考えられがちであるが、必ずしもそうではないと思うのだ。コミュニケーションというのは、絶えず双方向性であるべきである。だから、注意しても子供が言うことを聞かなければ、もう一度、少し強い口調で再度注意すべきである。親の注意が形式的なものであったからこそ、子供達は、この親の声かけに対して反応しなかったのである。
 そう考えると、さかもと未明が飛行機内でとった行動は、妥当であった可能性がある。
躾という親子間のコミュニケーションが有効でないならば、「怖いオバチャン」の出番ではないか?
 母子関係のねじれは、子供が難しい年齢になったから表面化する、というばかりではなく、案外、このような幼児期からの双方向性のコミュニケーションの反復の欠如に問題があるのではないか、と思えるのである。

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