2012年9月8日土曜日

アーティスト & ニューシネマパラダイス@早稲田松竹 

夕方18:30からの二本立て。アカデミー作品賞のアーティスト目当てだが、密かにスクリーンで初めて見るニューシネマパラダイスも楽しみに。

まずは、ニューシネパラ。
この映画の舞台がイタリアのシチリアで、敗戦国イタリアの戦後復興に併せて、教会で市民の憩いと、唯一の娯楽として人気を博して行く時代背景は、なんかあまり記憶になかったから再発見。駅馬車やカサブランカなどの名作をちりばめながら、アルフレードに名台詞を語らせて人生の立ち行かなさや困難さを、さりげなく示しつつ、まさに全編映画に対する壮大なオマージュになっている。
 ローマに出て成功したサルバトーレが、アルフレードの死の知らせを聞いてベッドで、街を出て行くまでの回想の後に、シチリアに戻ったあとの余韻に満ちた描写は、廃墟となったニューシネマパラダイスと、そこに染み付いた追憶から、見る者にもサルバトーレ同様にこみあげる感情を喚起する。

 この最後の15分のシーンは、ほとんど言葉がない。亡きアルフレードがサルバトーレに遺した「素晴らしいキスシーン」は言うまでもなく、時を経た主人公や母、神父などの役者の表情は、本当に素晴らしいと思う。結論から言うと、ニューシネマパラダイスは、まさにサイレント映画の要素を取り込んでいて、アーティスト以上にサイレントなのである。それでも、この二本立てのペアをセレクトしたスタッフは凄いと思う。
(P.S オリジナル完全版は劇場版より50分以上長いのだが、私はこの劇場版の方が断然好きである。)

 
 で、アーティスト。
 これは、サイレント映画と呼ぶには語弊がある。無声映画のスターの凋落と再生をコメディータッチに描く。基本的には、時代の変化についていけない男の自尊と孤独、苦悩。
しかし、全編を通して音楽が流れており、また説明的な字幕が多く出てくるので、「言葉がいらない」的なサイレントではない。そういう意味では、サイレント映画のオマージュとしても、手法が中途半端というほかない。これがアカデミーやカンヌの作品賞を取るということが、いまの洋画の現況を表しているという穿った見方をついしてしまった。

 結論。1989年作品のニューシネマパラダイスは、映画の黄金期を思わせる完成度。
イタリア映画をはじめ、名作強化月間への思いを強くした。



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