2012年12月14日金曜日

橋本治 「二十世紀」を読むー1

 混迷の21世紀を迎えて、バブルはとっくに崩壊し、世界的に経済危機が叫ばれる。日本ではモノは作れど売れず、原発の安全神話がもろくも崩れ去り、本当に豊かな国土は失われようとしている。一人勝ちしていた日本のつまづきから近隣諸国は攻勢を強め、日本にネオ右翼が台頭し、改憲や国防軍の議論がさかんになされる。

 「正しい方向性」が見失われた今、毎度繰り返される消化不良な党首討論で、我々は国の未来像を描けない。答えが見つからない中、選挙は3日後に迫っている。今出来ること・・・は「歴史から何を学ぶか?」であると思った。

 以前買ったまま読んでいなかった、橋本治「二十世紀」を読む。
 筆者曰く、「きわめて個人的な」百年記。この著作の議論をまとめるだけでも、もはや時間が足りないが、非常に多くの機知に富んだ視点を与えてくれる。

まずは総論。
 「20世紀」は2つの世界大戦と冷戦の時代である。ここで筆者はまず、外交手段の一つとしていた19世紀的な「ルール・美学のある戦争」と、大国が軍隊を背景にして「経済的侵略=商売」をおこなったことの意味を問う。そして、その経済的侵略の背景にあるのは、貿易の背後に、「必要」とともにある人間の「欲望」であるという。
 19世紀的原則では、貿易戦争での勝者になることは、世界一の侵略者になることであり、世界の覇者は「世界一の金持ち国」であることであった。ここですでに、筆者は結論を出してしまう。。
 「日本の金融システムの危機は、18世紀の産業革命に由来する必然の結果だ」
すなわち、産業革命による機械化により、大量生産の技術が可能となり、人間に作り過ぎという事態を与えた。近代化は、多すぎるゴミの山を生む。資本主義、金儲け競走は、「便利」というものをもたらしてはくれたが、金儲けは更なる金儲けを目指すことにしかならない。投資という行為自体が、商品の大量生産を誘導し、バブルははじけ、投資先がもうなく、「新たにモノを作ることがもう不必要になっていた」。
 高級ブランド品さえも買いあさってしまった日本人は、もはやそのような「いらないもの」さえもいらなくなってしまった。
 
 結論は、「必要なものは作るが、いらないものは作らない」産業革命以前の工場制手工業に戻るべきだ、である。人間から働くことを奪ったらロクなことにならず、働くことしか能がなかった人が働くをうばわれた結果が犯罪の多発である。だから機械化をやめて、効率が悪くても働くべきである。である。

 確かに、不況になるとすぐに「人件費を削減」「公務員の削減」・・・というが、新卒採用も減っているのに、さらに機械化を促進していいのか、と思ってはいた。障がい者の就労、彼らは勤勉だよ。たとえ小さな、決められた単純作業の仕事だけでも、黙々と勤勉にこなすんだ。福祉・医療もそう。農業だってそうだろう。淡々と毎日の仕事をこなすこと、だよな。カンフル剤はもういらないし、新製品ももういらないんだな。「質を保つ」こと、「メンテナンスをしっかりやること」。モノ作りや箱もの作る人は考えて欲しい。

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