2012年3月9日金曜日

震災1年を前に「世界を変えた哲学者たち」を読む

もうすぐ震災から1年になるのを前に、各メディアは、この1年の総括に躍起である。
風化させないように、またまた絆の合唱、進まぬがれき処理の話、落としどころとしての政府東電批判。
 やはり、繰り返される自然災害に放射性物質というふりかけがかかっただけで、全く違う様相を見せているのだ。
 
 何も正しいことを示せないことは、みんなわかっている。
 東電が何回倒産しても補償が終わらないことは、みんなわかっている。
 そもそも日本国自体が、震災前にすでに破たんしているのだから。
 大量の汚染水が増え続けていて、成す術なく海に放出されている。
 海産物の内部被曝の程度は、誰もわからない。
 大量に出来てしまったプルトニウムは、もはやどうすることもなく日本に漂い続けるだけだ。再処理施設は、当初予算の100倍もの投資をして、未だ稼働すらしていない。
 福島が原発に依存していたのは確かかもしれないが、そうしてまき散らした核物質により、多くの第一次産業が失われる。生産が失われる。消費の安全が失われる。日本ブランドの価値が低下する。

 こんな時代に出来ることは、ただ過去を振り返り、考え、未来を想像することだけである。哲学なんてカネにならず、実際に何の役にも立たないと言う人もいるだろうが、私は今こそ過去の哲学を学ぶ時なのかな、と思っている。

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